地元の石川県で、近々にモンサント陰謀論の映画の上映会があるそうです。

 全く個人的には、モンサントや遺伝子組み換え農産物が馬鹿げた形で批判されようと特に不利益はありません。ラウンドアップが使えなくなることはありえないし、GM作物はもともと商業栽培出来ないし、食品を買うときに加工品も含めて「遺伝子組み換え不分別」など気にしたこともないので。逆に陰謀論を叩いたところで利益があるわけでもありません。
 ただそれでもこういう風説が気に食わないのは大きく二つ理由があって、一つにはデタラメで他者を叩き、そのカウンターの位置に立ってお金儲けをする遣り口が気に食わない(農薬を叩いて有機栽培野菜を売る業者やハイブリッド種の野菜のデタラメを流して固定種?の種を売る業者なども同様)のと、もう一つにはそういう人の意見を汲み取るマスコミや一部政治家のおかげで食品規制が異常な状態になっていると思えるからです。

 私は、例えば残留農薬規制について普通の人に話すとき、「非常に厳しい規制です」ということがありますが、本当は「異常に厳しい規制だ」と思っています。この異常というのは、その厳しさの量がとても・ものすごく・並外れてとかいう意味ではなく、質的になにかおかしいというか、規制の背景にある思想がどっかいっちゃってるように感じるものということです。

 例えば残留農薬で言うと食品衛生法に基づいて、残留農薬が基準を超えるほど残留した野菜は回収され廃棄されていますが、農薬取締法違反・・・つまり農薬の適用外使用(規定の回数以上使ったとか、使用が認められていない・農薬を/野菜に対して・使ったとか)が見つかった場合は、結果としてその野菜の残留農薬が基準以内でも/検査限界以下で残留がわからなくても回収廃棄されてしまうことがままあります。農薬取締法には農薬の適用外使用で使用農家への罰則はあっても農産物を回収したりする規定など無いのにです。
 使用違反は決して良い事ではありえませんが、なぜ野菜の方まで罰を受けるのでしょうか。より罰則を重くしたいのなら農薬取締法の罰則を厳しくすべきですし、野菜の安全性に関してはその農薬が基準内に収まっている以上は問題などありません。(当然ですが残留農薬も基準を超えていたならば処分は両方に行われて何の問題もありません)

 そもそも、ほんのわずかでも残留農薬基準を超えれば回収処分というのが重いです。以前紹介したように、(http://www.geocities.jp/vin_suzu/nouyaku.htm)何十倍もオーバーしていたというならともかく2倍や3倍くらいはみ出ても問題にならないことのほうがほとんどです。海外ではARfDの基準を用いて、多少の残留農薬が見つかっても健康に影響がないと判断される場合には普通に流通してしまうことがあるようです。

 要するに、残留農薬規制は食べ物の安全性を確保するためにあるはずなのに、安全であろう食べ物であっても基準をわずかでもはみ出せば廃棄、それをさらに踏み越えてはみ出していなくても断罪、というようなものになっているのです。

 こういう事例はほかにいくらもあり、例えばBSE騒動の時始まった牛の全頭検査や、放射線規制の100Bq/kgも異様に厳しいものです。科学的根拠から安全を確保できるラインはもっと手前にあり、しかしそれでも遥か厳しいところに基準を引いてしまうのは、安全を確保する以外の目的が何かあるようにしか思えません。

 そしてその目的が、異常に安全に厳しい一部の消費者団体やマスコミへの配慮であろうとは思うのですが、ここでさらに上乗せで虚しいことに、そういった一部の消費者団体やマスコミはこれほど厳しい規制が行われていることを知らないか、知ってもどうとも思っていません
 本来はこれで充分安全と思われるラインを大幅に超えて作られた規制を守るのは大変なコストがかかるのですが、現実的には特に安全性に影響しない手間であること、その恩恵を受ける人が実質的に存在しないこと(大多数の普通の消費者は知らない・安全性にうるさい消費者団体も勉強しないので知らない)という2重の無意味さで精神的に疲弊させられます。

 食の危険を訴える人は、せめてその具体的な危険はどういうものでどれくらいの規模のものか、それに対して既にある規制がどういうものなのか勉強して欲しいです。例えば、モンサント陰謀論の映画上映会ではカルタヘナ法についての解説が同時に行われたりはするのでしょうか?現実にはもしかしたら主催者であってもその存在すら知らないかもしれません。おそろしく馬鹿馬鹿しいことです。