去る7月3~4日、都道府県会館で行われた地域医療を守り・育てる住民活動全国シンポジウム2010に参加してきました。
 医療系のイベントに参加するのは初めてだったんですけど、ブログにコメントをくれる忍冬さん のお勧めもあり、恥ずかしながらの参加です。


 ってかー、私もまぁゆうても医療問題を注視しる! とか作ってて、ネットでの医療問題系クラスタの中ではそこそこ知られた人間だしい、とかはまあここまで軽くは考えてないですけど(笑 でもまあちょびっとは知られてるんじゃね?とか思ってたんですけどただの思い上がりで、老若男女、全くもって知名度ゼロでした。まあいいんですけど。


 でシンポですが、地域医療充実のための住民運動について実際の事例を紹介し、その後グループでディスカッション(複数回)という流れでした。住民運動ではその効果として、コンビニ医療をやめよう!等というような啓蒙活動もあり、実際に夜間の診療回数が減少していて、その点は素晴らしいと思いました。
 ただ私は、地域医療の問題と言うのはちょっと合わなかったですね。


 って地域医療のイベントなんだから最初からわかってるはずで、参加しておいてこんなこと言うのもおかしいんですけど、視点がその地域だけで完結していて、他所の地域のこととかあるいは日本全体のもっとマクロな見方での話がほとんどなかったのに違和感を感じました。もう一度言いますが、それは地域医療シンポなのだから仕方ないのかもしれません。
 例えば、ある地域の医師不足を解消するために、他所の地域から医師を招聘しようとしたとき、それがものすごくうまくいけば、結果として医師を引き抜かれた地域の医療体制が貧困化することも考えられるのですが、そのあたりはどう考えられていたのかとか、よくわからなかったです。


 またこのシンポの参加者は大きく分けて医療、行政、一般(地域住民)のそれぞれの関係者となっていて、それらの人々の連携も一つのポイントだったのですが、主体的に活動している住民団体に対して行政の人たちが出来るのは完全に裏方までで(アドバイスや予算の獲得など)、なんだか連携というには色々な制限が相当に大きそうなのが印象的でした。
 例えばある地域の住民活動に対して、しかし行政側は特定の地域だけえこひいきするわけには行かないからおおっぴらな支援は出来ないなど。気持ちはわかる、という点も多くありましたが、どうにも煮え切らなかったのも本音です。


 もう一つ、地域医療に関する住民運動の内容を見ると、人々の志に期待するものが多かったです。住民達への啓蒙活動を別にすると、地域交流で研修医達に地元を知ってもらうとか、手紙を送るとか、そういうのが悪いとも言いませんが、しかし地域から医療者が減っている原因は果たしてなんなのか?というよりその原因が何だと分析しているのか?がイマイチよくわからなかったです。その地域に対する理解不足から医師が減っているのならいいんでしょうが、そうではないと思うんですが。
 ・・・とはいえ、じゃあそれ以外に住民活動として何が出来るのか?と言われるとなかなかないでしょうし、実際に意気に感じる人はいて、増えているようでしたから良いのだろうと思います(嫌味を言っているのではありません)。


 ただ、住民活動に参加する住民の方があまり増えないことは問題になるでしょう。こちらに関してはとにかく数が必要で、出来れば全住民が参加するのが理想ですし志だけを頼みにしていては届かないと思います。このあたり、何か強引にでも人を釣って、利益を説く(医療体制の充実は確実に利益でしょう)ことが必要かと思います。


 とにかく医師不足に関しては全国的に見てゼロサムどころかマイナスで、どこかが充実すれば逆にどこかが貧困化する状態なので、あえて特定地域だけ「充実させる!」というのも、冷めすぎかもしれませんが、わかりかねる話です。ただ、活動を通じて医療体制への負担を軽くしよう(コンビに受診やコンビニ救急を減らそう、など)てのは実にまっとうですし、それによっては医師を増やさずとも医師不足を解消することもできるかもしれません。その活動が全国に広がればなおさらです。
 で、そうやっている間に国がしっかり対応していく・・・のが理想ですけど、どうかなあ?です。住民運動も行政の活動も国の動きも、それぞれに得手・不得手があって住み分けがあるものでしょうが、今のところは住民運動はそこそこやっているところがあって、しかし国のほうはなんともサッパリです。


 このエントリは全体的に住民運動をくさしているような感じですが、気持ち的にはむしろそうではなく、本当に頑張っている人がたくさんいてすごいなと素直に思っています。が、医療問題の根本のところへの対応がほとんど見えず(それをやるのが政府だったり、あるいはマスコミにもできることはいっぱいある)、住民運動がなんだか孤軍奮闘のように見えるのが悲しいところです