私は現在の、無農薬有機栽培に価値がある/もてはやされているという社会は色々な面でかなりの不利益を被っていると思っています。それはそういうものにあまり興味がない大多数の人たちにとって不幸と言っても良いです。


 食品添加物へのデマゴーグで有名な安部司が深く関わっているマルチ主宰企業・アニューが、取り扱いの農産物で不適切な表示をしたと言うことで処分されています。
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/kansa/091204.html


 内容は産地偽装と、慣行栽培のものをJAS有機の野菜と偽ったと言うものです。無農薬栽培を装ったわけですね。処分は適切な表示及び管理体制の強化を求め、その手順について期日までに報告せよと言うもので、限りなく詐欺に近い内容の割には誰も逮捕されたり罰金などと言うことはない、見る人によっては軽いと感じるものでしょう。もっとも食品関係の違反で初犯はみんなだいたいこんな感じです。


 こんな偽装事件が起きるのは「無農薬栽培/有機栽培に価値があるから」でしょうが、これはなんとも大きな誤解に支えられた価値です。というのも有機栽培というのはあくまでも大ざっぱな栽培方法であって、それが農産物の品質に影響を与えないことは無いにしても、「良い・大きな」影響が確実にあるとは限らないことです。


 (個人的にはまことにうっとうしいことに)安全・安心の問題は今でも食品業界の中心であると言うかほとんど常識になりましたが、無農薬栽培は農産物から農薬リスクを除去するわけではありません。無農薬栽培の野菜にも農薬が残留することはあるからです。JAS有機栽培の野菜ならなおさらのことです。
 なぜ農薬を使わずに作られた野菜から農薬が検出されることがあるかと言えば、それは隣の畑で使われる農薬が流れて来たり(ドリフトと言う)、難分解性の農薬が元々土壌に残留していたり、もっとも悪質なのが胡散臭い農薬もどきを使ってそれに本当の農薬成分が含まれていたりなどの理由ですが、とにかくこれらは有機栽培という過程と農産物と言う結果を混同したがために起こった誤解は根強く、どうしようもなく広まっています。


 そもそも一口に有機栽培などと言ってもその内容はピンからキリまで様々で、とても一律の効果など望めないはずなのです。例えば、僕はブラジル人のコーチに教わったんだからサッカーがうまいんだ、と言われてもじゃあそのコーチはどんな人なのだ、どういうスキルを持っているんだ、どれくらいの期間教わったのだ、そもそもその少年の運動能力はどうなのだと聞かれるに決まっています。少なくとも、ただそれだけで試合に出るレギュラーになれることはありえません。が、有機栽培はただ「やった」と言うことがラベルに書かれているのみで、その内容について詮索されることも無く、薄らぼんやりとした価値を持っています。
 それならばまだマシなのが、最近流行っていますが、残留農薬試験を行ってその結果を添付すると言うほうが良いでしょう。結局のところ農薬を使って作っても、作物に残留していなければ(検出できなければ)そっちのほうが安全なわけです。本来は、基準値以下なら検出されても気にすることは無い、と言いたいところですがそのあたりもかなり深く、わかられていません。


 ただし補足しますが、有機栽培ですぐれた農産物をつくる生産者と言うのは存在しますし、そういう人たちや農産物そのものを否定する気は一切ありません。がそういう人たちはなぜすばらしいのかと言えばすぐれた農産物をつくっているからであり、有機栽培をしているからではありません。この違いが問題なわけです。


 さて、本当は無意味だといくら言っても現実はこうなので、農家にとっても販売者にとっても、無農薬栽培を目指してしまっています。これはかなりの不利益で、不幸です。販売業者についてはアニューの件等を見ればわかるとおり偽装へのモチベーションになっていますし、農家にはエセ有機農法をやらせるモチベーションになっています。


 エセ有機農法とは、「農薬を使わず、代わりに別の防除資材を使う」農法のことです。その内容がデタラメなことが極めて多いため、私はエセと呼んでいます。


 有機農法と、普通に農薬を使う慣行農法ではその手段が根本から違います。決して、ただ単に農薬を使わなければよい訳ではなく、病気や雑草や害虫などを何か物理的な手段で押さえ込むこと(防虫ネットだったり人力での草ひきだったり)、そしてそれよりまずそういう障害を起こさないようにする管理がもっとも大事です。

 ただしエセ有機農法は違います。ここの目的は単に農薬を使わないと言うことのみで、つまり農薬ではない資材はバンバン使います。木酢液やニンニク抽出液や牛乳なんかを撒いてみたりしますが、果たして効果があるのか無いのか、もっと問題なのは人体に害があるのか無いのか調査もされていないそういうものを撒き散らすのは農薬を使うよりいっそう悪いでしょう。
 と言うような話をすると、牛乳や酢などは人が普通に飲食するものだから安全に決まっている、だから使ってもいい、なんて言われる事がありますがそれはおかしいです。人は牛乳や酢を口から摂取するだけです。が、農薬として使用するからには、それを霧状に散布したりするわけです。霧状の酢が鼻や目から入ったときも安全だと断言できるでしょうか。農薬はそういう試験もやっていますが、農薬もどきはやっていません。牛乳ならば、太陽光で分解される時に出来る生成物に発ガン性があったはずです。
 そしてそもそも牛乳なんかを使うのはまだマシなのであって、ひどいところになるとタバコの抽出液や、海外から個人輸入した日本では認められていない農薬などが使われることもあります。恐ろしく害があるものも「農薬で無ければ」平気で使われそれが「無農薬栽培」になっていたりします。当然違法ですが、滅多に摘発されません。むしろ推奨する人もいるほどです。


 要するに有機や無農薬の広まりは無意味どころか確実に信用も安全性も毀損しているのですが、安心性だけはあります。当然、騙されているわけですが。新興宗教などと全く同じ構図で、危険だが安心だけはできる状態です。


 「無農薬栽培」と言うキャッチコピーは、その内容が何であるのかを隠すフィルターになってしまっています。ワインの酸化防止剤に関するエントリを書いたこともありますが考えてみれば、食べ物の安全性以上に、そういうコピーの内容について何も考えさせない、考える習慣を全く失っていることこそ、最大の不幸なのかもしれません。落ち着いて考えてみれば容易に「あれ?おかしいぞ」と思うことは一杯あります。考えてもいないから気づいていないだけで。