以前、朝日新聞社の某(ネット上では)有名記者が言い訳がましく、「マスコミの体制に不満があるのは重々承知だが、中が変わるのは時間がかかる」とか言っていたのを思い出しますが、大野病院事件判決後の報道もあきれるものが多くて閉口します。


 もちろん、ご遺族が感情的な意見を述べることは理解できますしそれを止めるべきとがいえませんし、それを一切取り上げるなともいいませんが、少なくとも、裁判の争点に挙がっていない事象をメインに押し出して記事構成するのはもうどんだけ勉強不足なんだよと思います。と言うかもはや、勉強不足ではなく勉強絶無。きっと判決要旨も読んでないんでしょう。
 なんかもう、毎日や産経などの記事を読んでいると、ご遺族の味方をしているように見えてその実、ご遺族自身をも貶めているようにすら見えて仕方ありません。感情をあまりに軽々しく扱いすぎています。


 報道とは、関係者(一部無関係者も)からコメントを取ってくればそれで終わりなのでしょうか。判決後の裁判を、しかもそれなりに大きく取り上げるなら、最も重要なのは判決要旨をちゃんと取り上げて解説することなのではないでしょうか。しかし、判決そのものを前提にしない報道が多すぎます。どこをどう見ても「判決は不当」を前提とした記事で、しかもなぜ不当なのか(感情以外には)説明していない記事はもううんざりです。


 そんな変な記事をいちいち読むのも、と言うかもう見るのも嫌といった心境な上に、ちゃんと批判されているところもほかにたくさんあるので(shy1221さんのところ が特にわかりやすかったです)、これ以上考えるのは止めにするとして、一応地元紙にこんなのが載ったという報告を。


北國新聞8月21日朝刊 コラム「時鐘」より
http://www.hokkoku.co.jp/_syasetu/syasetu.htm  ←毎日更新なので明日には内容が変わります



◎産科医に無罪判決 医療事故調の発足を急げ


 帝王切開で出産した女性をミスで死なせたとして産婦人科医が業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた福島県の県立大野病院事件で、福島地裁が被告の医師に無罪を言い渡した。二〇〇四年に起きたこの出来事をめぐり、執刀医の逮捕も起訴も不当だとして医療界や関連学会が猛反発したばかりでなく、出来事を機に産婦人科医の産科離れが全国的に一気に進んだことでも注目された裁判だった。


 厚生労働省も、医療分野の出来事をいきなり刑事事件として捜査することのまずさに気づき、中立的な調査委員会で原因を究明し、再発防止に生かしたいとして医療版の「事故調査委員会」創設に取り組んでいる。今年四月には第三次試案を公表し、日本医学会の支持をおおむね取り付け、最終案のまとめの段階を迎えている。判決を踏まえて医療事故調の発足を急いでほしいものだ。


 もちろん、検察側の判断によって高裁、最高裁までいく可能性が否定できない。が、福島地裁の判決はよくできている。すなわち、一刻を争う切迫した状況の下で、非常に難しい判断を迫られる医療現場や、医療措置の在り方から医師の判断に誤りがあったとはいえないとしている。


 子どもは助かったが、亡くなった女性は極めてまれな子宮に胎盤が強く癒着した例だった。が、処置の極めて難しい例でも、担当医が責任を追及されることが多いため、たとえば、昭和大医学部の産婦人科講座の岡井崇・主任教授は自らの体験もまじえた物語「ノーフォールト」を著した。


 医師に神のごとき完全さを求め、期待に反すると訴訟に踏み切る風潮に反省を求め、そうした風潮が結果として医師と患者の遺族を苦しめる現実を生み出していると指摘し、医療過誤がなくても遺族に補償を与える制度の必要性を提起している。


 病気や医療の困難を無視した責任追及は危険を避ける医師を増やす。産科医不足はそれだろう。これでは日本の医療が崩壊する。病んだ現実への処方せんとなる医療事故調の最終案を期待する。



 えーと2段落目と最後の段落はちょっとアレですが、内容はわかりやすくなっていると思います。こんな前提で話を作るなら3日前の記事はなんだったんだと思うところもありますが、まあこれもマスメディア内の体質の話になるんでしょうか。
 マスコミは、まさに自分たちが自分たち以外の組織に求めるほどに、代謝速度を速めるべきでしょう。毎日変態記事問題でもさんざん指摘されていますが、本当に置き去り状態です。


koume