当ブログでもNATROM先生のブログエントリ を通じて取り上げたことがある、自然分娩にこだわる吉村医師ですが、当ブログのコメント欄にて2児のかあさん様から吉村医師へのインタビューを掲載しているページを紹介していただきました。
http://www.earth-peaceful.com/category/yoshimura


 一部を紹介します。特に論評はしません。一言だけ言うなら、タイトル通り、気持ち悪い。



5 医者なんかおらんほうがいい


吉村先生:
そりゃあ私もね、
全国に世界にそういうことが広がっていくということが夢でやってるんだよ。


でも、今の医療はそれと真向に反対してるの。そうでしょ?
そんなことやっちゃったら医者がみんな食っていけなくなっちゃうもん。


医者なんてくだらん大学なんていくとバカになって
勉強すればするほどバカになっちゃう。
お産なんてことが解らなくなっちゃう。


大体、生物学でお産が診れるなんてことは、
節穴から現象だけをちょっと見とる様なもんです。


私はそれを全部取りはらって、認識能力…そいつは神も認識するし、
科学的な認識もできるし、すべての認識能力でお産というものをみている。


それで正しいお産というものができるように指導してきたわけです。
それでツルツルですよ。


うまくいかん人は、もともと遺伝子的に駄目な人。それは仕方がない。


それは昔はみんな死んどった。
人間はね、いらん遺伝子を排除して
良い遺伝子だけでね、ずうっと太古以来、続いてきたんだよ。


それが、西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。
助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる。


そやから、今私が言った生活を女性たちがしたら、
みんなツルツルに産まれますよ。
医療なんかぜんぜん要らなくなるからね。


今、医者がちょっと減ったって言って
大騒ぎしとるけれども、そんな必要はまったくありません。


医者なんかおらんほうがいいの。

大体、医者がおるから難産になるんですよ。


妊娠するでしょ、ちょっと出血したら安静にさせて注射なんかバンバン打つでしょ。
そんなこと自身が駄目なんだよ。
うちはそんなことは一切しないからね。


四か月までの間にもともと駄目な人は出ちゃうんだよね。
そのあとは、ちゃんと育つんだよ。


ちゃんとした遺伝子を持った子供たちはちゃんと産まれるんだよ。
だから、四か月以降は徹底的に運動させる。






7 死を覚悟して産むこと

りーべる:
今度ってあるかないか分かんない今度ですけど、
自宅分娩でもいいかなって思うんですよ。


吉村先生:
いいじゃないですか。


りーべる:
理解してくれる助産婦さんがいてくれたら…。


吉村先生:
だからね、
死んだっていいって思やあ、それでいいじゃないですか。


りーべる:
ああ、納得。なるほど、そうですね。


吉村先生:
子どもが死んでもね。


りーべる:
うんうん。


吉村先生:
死ぬのはだめ、死ぬのはイカンなんて医者が言っとるでしょ。
それは医者が儲けるために言っとる。

そんなの、お産がおかしくなって死ぬって言うことはあり得るわけですよ。
昔なんてバタバタ死んどったわけだから。


この世に生まれてきちゃいかんものは神が選択するの。
医者が選択すべきことじゃないよ。


ほんだもんで神が選択してこりゃだめだっていうものをだよ、
むりやり出したなんてことは天に対する大罪だぞ。


そのうえね、そんな考えだからちょっと問題があると、
すぐ腹を切っちゃう。


親子関係がぐじゃぐじゃになったのは、
医学が支配しとるからですよ。


それで…。
(ここから、ますます過激トークへ)


りーべる:
たとえば吉村医院に来れない場合、
先生のお考えに賛同している助産婦さんにお願いして。


自宅分娩で、体を自分で鍛えて、
それだけの覚悟があってやるんだったら。


吉村先生:
それならいいですよ。死を覚悟してりゃあね、
なにも医者なんて要らないんですよ。


死ぬなんてことはほとんどないんだから。


それは神が選択したんであって…
だから神の言うことを聞かなしょうがないですよ。


みんなね、なるべく長く生きてね、
100でも120歳でも生きようなんて
馬鹿なやつが居るけれども(笑)


死ぬ時は死ぬんだよ。
人間ってものは。




 ちなみにおまけ。「どうする?日本のお産」プロジェクト より、九州の産科の先生の発言。



 自然というものがどれほど残酷で厳しいものなのか、もっと深く考えるべきである。アンケート結果をみると、自然なお産を望む一般の方々、中には助産師の方もいるようですが、自然というものを本当に理解しているのでしょうか?その方たちは自分の子供が風邪をひいたときには、当然のごとく病院を受診させ薬を処方してもらっているでしょう。しかし、これは自然なことですか?弱い個体は淘汰される。これこそが本当の自然ではないでしょうか?医療というものは、もともと自然に反する形で発展してきたものです。病気になった人の苦しみ、周囲の人々の悲しみを取り去ることを目的として発達してきたものです。周産期医療の発達も同様です。1950年代の妊産婦死亡率は現在の約30倍も高いものでした。現在と比べると自宅出産が多く、無責任なマスコミが讃える自然なお産が行われていた時代です。お産による妊婦、新生児の死亡、周囲の悲しみをできるだけ減らすことを目的に、産婦人科医師の先達は不眠不休で頑張ってきました。その結果、自然なお産からは程遠いものになったかも知れませんが、「お産は病気ではない」と勘違いをした発言をする医療関係者がでるほど安全が確保されるようになりました。ですが産婦人科の医療現場で働く人間の実感としては、その[安全]ですら非常に不安定なものです。保障がない、1分先にはどのような悲劇が待っているかわからない不安に怯えながら、出来る限りの万全の体制でお産に臨んでいます。産科を扱う医師が加速度的に減っていき、残された産科医師への負担が急速に大きくなっていく環境で、現場は疲弊しきっています。そして、また産科をやめていく医師が増えていきます。我々に余裕があれば、様々なお産の形に対する要望に応えられるのかも知れません。しかしながら、もうそのような状況ではなくなってきています。ですから、自然なお産を望む妊婦さん、自然なお産を勧める助産師さんにお願いです。自然の厳しさを理解したうえで自然なお産を選択されるのであれば、どのような結果が待っていようとも最後まで自分たちの責任で行ってください。私自身はどこでお産をしても構わないと思っています。ただ、どうしようもない状態になってから、産婦人科に放り出すのはやめてください。それに応える余力はもうありません。【九州/産婦人科医師】



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