村上龍は最近医療問題に関心があるらしく、次の長編のテーマは決まったと言わんばかりの意欲むんむん、JMM月曜版のエッセイでときたま医療の話に触れます。
 で先日3月3日の月曜版にこんなエッセイが載りました。



 Q:852への回答ありがとうございました。先週、「札幌産婦人科医会が二次救急からの撤退を札幌市へ申し入れ」というニュースがありました。申し入れを受けて、市は医師や住民による協議会を設置して、負担軽減策を話し合うようです。
<http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/78393.html?_nva=7 >

 産婦人科医会が提案した「市の夜間急病センターに産婦人科医を置き、早産や子宮外妊娠などの重症患者のみを二次救急に送る負担軽減策」を、財政難を理由に市が拒んだ結果、「二次救急からの撤退申し入れ」ということになったようです。札幌産婦人科医会の遠藤会長は、「医療にどうお金をかけるか、市と住民でよく考えてほしい」という声明を出しました。

 この件に関して、知り合いの医師に聞いてみたのですが、「札幌はこういった論議を真剣にやっているだけまだマシで、他の地方や都市部の産科地域医療はさらに疲弊し、崩壊しつつある」と言われました。知人の医学部教授は、産科と外科を目指す学生がわたしの知る限り一人もいない、と嘆いていました。地域医療の崩壊はすでに現実のものになりつつあるようです。

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■次回の質問【Q:901】

 経済合理性の観点から考えて、医療費を上げずに、地域医療の疲弊と崩壊を防ぐ方法というのはあるのでしょうか。

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 まあ、村上龍のように発言する場所を持っている有名人がこの問題に興味を持つことはいいこととは思うのですが、いかんせんこれを読んで感じるのは、氏くらいの見識の持ち主であってもまだこの程度の認識なのか、と言うほど現在の日本の医療が抱える問題が世間に知れ渡っていない絶望感です。


 最近、いくつかのメディアでも医療問題を取り上げるようになりましたが、ほとんどに共通するのは、このエッセイにも含まれているこの発言


> 地域医療の崩壊はすでに現実のものになりつつあるようです。


 のように、「このまま行くと、もしかしたら、医療は危ないのかもしれないぞ!?」という認識です。しかし実際にはこのような認識はすでに5年は前のもので、現在では、「このままでは危ない」と言っていられた時期は福島県大野病院事件が刑事扱いになった瞬間に終了したことになっています。「あの時どうにかしていれば、まだ何とかなった」時点はもうとっくに過ぎ去り、もはや何をどうしても医療崩壊は避けられない、今は崩壊していく様を見守っているだけ、な状態なのです。


 では次にくるのは、崩壊してしまった後の医療業界は、社会はどうなるのだろうか、崩壊後はどうやれば立て直せるのだろうか、の分析になるのですがそれすらももう議論が尽くされ、ネット上の医療問題言論空間では、後はもう予想が当たるか外れるかを生暖かく見守りつつ、遅ればせながら次々打たれる自治体・厚労省その他の対策・運動を批評するが、その対策がまた医療崩壊をとどめるどころか意図的に加速しているとしか思えないものばかりで怒りどころか失笑しか生まれず、むしろもっと燃料投下してさっさと医療やめちまえと言い出す勢力まで現れる始末です。


 それほど酷い状態になるまでなぜ黙っていたのだ、と言う人も巷には多いようですが、実際には医師たちは「このままではやばい」と散々言っていたものをマスコミ各社が取り上げなかった、または「医師同士の醜いかばいあい、まだ儲けたいのか」などのような印象操作をした偽装報道に終始し、正確な情報が各メディアの上に踊ることは今に至ってもまだほとんどありません。
 今、医師が主催するブログでは、早晩開始される「後期高齢者医療制度」を、こんなばかげた制度は即刻撤回しないと全国でとんでもないことになるぞ!と批判しまくっていますが、この制度の本質をちゃんと捉えて紹介する新聞・メディアは皆無です。ちょっと医療ブログを読めばすぐ分かることなのに!実際始まっちゃえばきっと全国の老人から阿鼻叫喚の怨嗟の声が巻き起こることは必定ですが、医師の側からはすでに「我々はちゃんと言っていたからな。後でこちらに泣き付かれても後の祭りだぞ」とすでに釘を指されています。


 さて村上龍が経済人たちに質問した、「お金をかけない医療対策」ですが、そもそもなぜお金をかけないのが前提なのかよく分かりませんね。もっとも、現実問題としてお金が出ないのは分かりきっていることで、むしろ年間2200億円ずつ5年で1.1兆円の医療費を削減することが政府の至上命題になっている以上は、はなから予算など度外視する設問はそういう状況を見越していると言えなくも無いかもしれません。余談ですが舛添厚労相はつい最近になってやっと「医療費を2200億円削減するのは無茶かもしれない」と思い始めてきたようですが、思うだけならまだしも発言までしてしまうと来ては、財務省のご意向に完全に喧嘩を売った氏は自身の政治生命に終止符を打ったと言っても過言ではなく、どうせなら今のうちにもっとでっかいヤケクソ花火(「実は厚労相では、現在日本全国で実働何人の医師がいるのかすら把握しておりません。」とか言っちゃうとか)を上げてくれれば時期はずれの永田町河川敷花火大会も盛り上がるのになあ、と思うのは不謹慎でしょうか。


 予算など、医師本人の待遇に関わる部分に関しては乾いた雑巾を絞るがごとく世知辛い状態ですが(その割には病院に関わる箱物作りとか、オンライン情報システムとかヘリコプターとか外注が発生するものにはすぐ予算がつきますが)、コスト・アクセス・クオリティのバランスの中でコストをかけないならばアクセスかクオリティを削るしかないでしょう。
 でどちらをどうするかですが、私が知った中で面白いと思ったことに、医師は最新の医療技術や難しい症例など、勉強になる面白い事例(不謹慎か)に当たれるならば給料や休みが多少少なくても結構頑張れると言う習性があるらしく、また人の生死を扱う業界でクオリティを下げるとはいかなることかとの考えもあるでしょうから、手をつけるならアクセス制限だろうと思うのが順当なところでしょう。現在の日本では医療機関へのアクセスがあまりにも優れすぎ、おかげで傍若無人な救急患者なども増えているようなので、仮に万万が一に予算が何かしらついたとしても掣肘は必要でしょう。もちろん、ほとんどの救急患者(と言うか、患者)はまともなのだろうと思いますが、100人に1人のモンスターペイシェントが問題であって、しかも毎日数十人の患者を見ているとすれば数日に1回は確実にモンスターに出会ってしまいます。


 それ以外に私が以前考えていた、お金をかけない医療対策としては、医師たちを尊重・尊敬する風潮を再び作ると言うものです。今は各マスコミの尽力のおかげで、医師への敬意など地に落ち去っています。名誉を与えることは、コストの割りに効果が大きく、医師の生活まで尊重できるような土壌が出来れば、夜中に医師を呼びつけることを自重したり、仮に夜中に罹ったとしても「申し訳ありませんが何とかお願いします」との患者側の気配りは期待できるでしょう。マスコミなり有名人なりが本気で取り組めば意外と簡単に実行できそうなのですが、それにしても今回の村上龍のエッセイに象徴されるように、世間はいまだにこの程度の認識では希望も無い・・・として最初の話に繋がります。


 なんかまとまらんな。


koume