僕らはワインと出会ってしまった
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ワインビジネス

僕がワイン業界を就職先として選択したきっかけは、学生時代にアルバイト先のレストランでソムリエ志望の先達からシャトー・ラツール1979年をご馳走してもらったことでした。その後はいくつかのワインから受けた疑いようのない感銘が道標となり、今日まで何とかこの世界で口にしてきました。

ワインとは、自然の恵み、産地の文化、生産者の情熱、味わいの芸術性、そしてワインに関わる多くの人々の純粋な愛情によって支えられています。しかしワインをビジネスとして捉えた場合、それらは残念ながら決定的なファクターとは成り得ません。ワインの場合、価値有るものが必ず売れるとは限らないのです。この事実を日本がワイン飲用文化の後進国だという理由に帰すことはできません。イギリスのような伝統ある大消費国でも実情は大差ないからです。ワインの多様性は我々にとって大きな魅力でもあるのですが、反面入門者にとってワインを判りづらくする最大の要因となっています。品種により味わいは変わり、同一の品種でも産地によってまた異なり、同一の産地でも生産者によって差異が生じ、同一生産者のワインでもヴィンテージによる品質の不均一から逃れられない。伝統的なワイン生産国であり消費国でもあるフランスでさえ、若者のワイン離れが進み業界にとって深刻な問題となっています。これはライフスタイルや嗜好の変化によりますが、ワインの持つ難解さにも起因しています。

多様性による難解さに加え、その真の価値を見出すには飲用の経験と感受性が必要となります。それは、絵画や音楽といった芸術を解する場合と同様です。これを大多数の消費者に求めることは、不可能事でしょう。ゆえにワインは、その品質だけでは価値基準を持ち得ないアルコール飲料といえます。本人さえ現在の成功を想像だにしていなかったと思われる米国のワイン評論家ロバート・パーカーが、あらゆる分野の評論家の中でも空前の(絶後とさえいえる)市場影響力を発揮できるのも、ワインのこうした面によります。1982年産のボルドープリムールに対する先見性や、超人的なテイスティング能力と記憶力が取沙汰されますが、その成功の最大要因は100点満点採点法を評価に導入したことに尽きます。多様に過ぎるワイン達に、あまりにも明快な価値基準を与えてやった訳です。名声に胡坐をかいた蔵元に冷水を浴びせて目覚めさせる効果や、シンデレラワインの相次ぐ誕生を促し市場を活性化させたことによる貢献は賞賛に値するでしょう。ただし彼一人の味わいに対する嗜好が、市場をリードすることによるワインの画一化や偏向の危険性も否めません。(近年ワイン・アドヴォケイト誌は産地毎の分業制が進み、いわゆるパーカー好みではないワインが高得点を獲得する事も珍しくなくなりました。)

パーカーポイント以外にもワイン誌のブラインド・テイスティング評価、コンクールの受賞暦、ボルドー・メドック地区に代表される格付け、漫画「神の雫」への掲載と賞賛、そしてビオディナミやビオロジックといった栽培に関する方法論等々、それらはワインの味わいを絶対的に保障してくれるものではないのに消費者の購買動機として絶大な効果を発揮します。それが端的に現れているチャネルが、年間推定ワイン販売額200億円市場といわれているネット通販でしょう。そして基本的には同じ消費者を対象としている以上、飲食店におけるワイン販売の鍵も高品質な商品の提供以上に、その魅力をどのように提示するかが重要なのではないでしょうか。

僕がプレゼンで常に意識するのは、第一にインパクト、いかに顧客の興味を引き付けられるかということ。第二に極力シンプルで判りやすくすること。第三にできれば他に真似の出来ないオリジナリティを創出するということ。以上、三点となります。頭文字を取ってI.S.Oと呼んでいます。そして、これらはワイン以外のビジネスにおいても留意されるべき事柄でしょうし、飲食店経営には不可避な問題と思えます。福岡勤務時代、箱も接客も料理もコストパフォーマンスも高い次元にあるのに苦戦を強いられ続ける飲食店を数多く見てきた経験から、ただクオリティが高いだけでは物は売れないという現実を見ないわけにはいかなくなった次第です。もちろん僕も試行錯誤しながらの歩みではあります。

次回は、今回とはまったく相反する内容の「ソムリエのワイン」についてお話したいと思います。

岡本さんにも会ってしまった。

ずいぶん更新していませんでしたが、再開します。

更新しなかったのには理由(というか言い訳)があります。ブログ開設時にワイン小説を書いてみようと思いつき、通勤の行き帰り時間を利用して始めたところ見事にはまってしまいました。どんどん発想が膨らんで、中編小説ぐらいの量になりましたが、終わりが見えてきました。それをいやがる妻に無理やりタイプしてもらっています。実在の人物がバンバン登場するので、とてもブログ上では発表できません。名前だけ変えればモデルがだれかすぐに分かっても大丈夫なんですかねえ?

さて、本題です。最後にブログを更新したときに書いたボーペイサージュの生産者である岡本英史さんに会う機会に恵まれました。6月1日に麻布十番の自然派ワイン大充実のイタリアンレストラン「ラ・ブラーチェ」で開催されたワイン会にいらっしゃいました。ご挨拶すると、お隣にいたワインライターの香取みゆきさんが私のブログを見ていて、それを岡本さんに紹介してくれたとのことでした。びっくりです。ボーペイサージュをめぐる周囲の興奮(特に私)とはうらはらに岡本さん本人はとても冷静でした。礼儀正しく自然体で、その印象は彼の造るワインとも重なります。2次会にも参加させていただき、岡本さんから麻井宇介さんのお話をうかがったときは酔いも手伝いウルウルモードになりました。今は、津金の畑を見たくてしかたありません。

2006年ヴィンテージの津金シャルドネとラ・モンターニュ(メルロー)をはじめていただきました。シャルドネは同じ葡萄を①樽熟成させないタイプ、酸化防止剤完全無添加②新樽熟成、酸化防止剤完全無添加③落ち樽熟成、瓶詰め時にごく少量の酸化防止剤添加という3種類で、僕の好み的には③②①の順で③と②が競っていて①は還元臭がきつ過ぎてゴメンナサイという感じでした。メルローは①樽熟成せず酸化防止剤完全無添加②樽熟成、酸化防止剤完全無添加③樽熟成、瓶詰め時酸化防止剤ごく少量添加の3種類で、これは②が美味しかったです。やはりメルローなのにブルゴーニュのピノ・ノワールを思わせる味わいでした。

醸造、瓶詰め時の酸化防止剤の使用量は、ワインの味わいにかなり差異を生むのは間違いないようです。私は特に白に関しては酸化防止剤を適量使った輪郭のはっきりしたワインが美味しいと思います。赤は少なくともボーペイサージュ・ラ・モンターニュに関しては、酸化防止剤無添加に魅力を感じています。

最後に今回の会を開催していただいたラ・ブラーチェの水口さん、本当にありがとうございました。

次回もぜひ参加させていただきます。

ボーペイサージュを飲んでしまった。

ボーペイサージュを飲んでしまった。昨年6月東京に戻って来て以来、いろいろな人からボーペイサージュの噂を聴いていました。この5~6年、僕は営業の軸足をシャトー・メルシャンに置いてきました。この素晴らしいワインの普及啓蒙が営業としての使命だと感じていましたし、支えにもなっていました。なのでボーペイサージュを飲むのが実は怖かったのです。

先日Ch.トロタノワ'01とルーミエのシャンボール・ミュジニ“レ・クラ”'96と桔梗ヶ原メルローVSP'04を飲み比べる機会がありました。桔梗ヶ原メルローVSPは業務用専用の数量限定ワインで、VSPはヴァーティカル・シュート・ポジショニングの略で、垣根仕立てのことです。ルーミエのレ・クラは、やはり別格中の別格なのですが(収穫年の関係なのか、暖かい産地のピノのニュアンスも有りましたがやはり酸が秀逸)、VSPもトロタノワと比べると凝縮感では譲るもののワインとしての格ではまったく劣らないと感じました。VSPは果実味豊かで、輪郭がゆるく水のように喉を潤す自然派っぽい印象が少し有ります。そして余韻も長い。同商品の07は、04を遥かにしのぐという。勇気づけられた僕は、ボーペイサージュを飲む気になりました。

まず断っておきたいのは、僕は日本ワインを応援していますが、それはシャトー・メルシャンに対するシンパシーが99%で、他のワイナリーに正直それほど深い思い入れは有りません。そしてビオ・自然派系のワインを楽しんではいますが、1歩も2歩も引いた姿勢から飲んでいるので、その世界にまったく心酔してはいません。

そして今、僕はボーペイサージュという事件の只中にいます。まったく気持ちの整理がつかないまま、このブログを書いています。麻布十番のラ・ブラーチェに同僚の本間さんと二人で出かけて行き、シェフソムリエの水口さんのサゼッションに従って「ボーペイサージュTSUGANE La montagne 2005」 をいただきました。打栓直前の酸化防止剤添加もしていないというレア商品で、ほとんど市場に出回ってないそうです。ボーペイサージュのほとんどのワインを飲んでいる水口さんの意見でも、これが今のところベストワインではないかとのことでした。セパージュはメルローなのですが、色合いはとても薄く香りはブルゴーニュのコート・ド・ボーヌのピノを思わせます。日本のワインどころか、メルローから経験したことの無い香りです。味わいは、自然派のそれなのですがテクスチャーも適度に感じられ、バランスが素晴らしくエレガンスに溢れています。旨みがじわじわと来て、余韻が素晴らしく長い。まだパカレを飲んだことがないのですが、僕が飲んだいわゆるビオ・自然派系ワインの中ではこれがトップ・キュヴェだと思いました。前を見ると本間さんが悶絶しています。どうやら思いは同じようなのですが、僕は世界に冠たる日本ワインの雄はシャトー・メルシャンであってほしいため気持ちは複雑です。もちろん生産量や目指すワインの方向性が違うので一概に比べられないのですが、ボーペイサージュの魅力には抗いがたいものがあります。シャトー・メルシャン桔梗ヶ原メルローのように、日本ワインの新しい指標たりえる存在なのではないでしょうか。早く岡本さんに会って話が聞きたいなあ。

p.s. いまだチョコレートゼロです。カミさんに馬鹿にされるなあ。


イタリアの怪人「本間敦」

昨年の10月から僕のワインライフは劇的な変化を遂げました。この1~2年ワイン関連の書籍を読み漁り(テーマ:熱烈推薦ワイン書籍参照)ワイン漬けの日々を送っていると思い込んでいましたが、まったく違いました。今が正にワイン漬けの日々で、とにかく沢山の銘醸ワインを飲んでいるのです。どうもイナオのテースティンググラスで試飲しただけではそのワインを理解したことにはならないようです。五臓六腑をアルコール漬けにして初めてワインが自分のものになることを教えてくれたのが、昨年10月に同僚となった本間敦さんです。東急百貨店吉祥寺店のワインバイヤーを10年勤めた本間さんは、イタリアワインのプロフェッショナルとしてリアルワインガイドにテースティングコメントを執筆し、漫画「神の雫」ではイタリアの怪人「本間長介」のモデルとなり、巻末のコラムも手がけています。本間さんは、ワインに関して名前の通り「ほんまもん」です。初出社の挨拶で「ワインを愛する気持ちは皆さんに負けません。」と話した本間さんは、飲む量でも誰にも負けていませんでした。多分1日平均1本半~2本のワインを消費しています。どんなに飲んでも翌朝はケロッとして出社してくる強靭な肝機能も備えています。ワインに対して高い専門性を持っている人には数多く会いましたが、ここまで陽性の人は初めてです。「神の雫」の本間長介は自宅にワイン用の空調設備がついた部屋を持っていますが、実際の本間さんの家にはワインセラーさえありません。どんどん飲んでしまうため必要ないのです。友人のお宝ワインを開けさせることも大得意です。いわく「人生、明日何があるか分からないんだから今日このワインを飲まずにいられようか。」高額ワインを大量消費する人達は、経済的に圧倒的に恵まれた人達が大多数でしょう。僕らは違います。本間さんのワインエンゲル係数は、日本屈指と言えるでしょう。イタリアの怪人は、実はブルゴーニュも大好きです。本間さんとのへべれけワインライフに僕の肝臓と財布と妻の堪忍袋が耐えられるかどうか?今は何も考えずにワイングラスを仰いで「ファンタスティーコ」と叫びたいのです。


日本ワインの明日

学生時代バイト先のレストランでクリスマスに飲ませてもらったCh.ラツール79が、私の就職先を決めてしまいました。そして冷めかけたワインへの情熱を再燃させてくれたのがシャトー・メルシャンでした。良いワインを造るには、優れたテロワール、醸造設備や技術が必要となります。しかし一番重要なのは人間の強い意志と弛まぬ努力であり、それなくして結実しない飲み物だという事をシャトー・メルシャンは教えてくれました。
「日本ワインの父」故麻井宇介氏の蒔いた種は、メルシャンのワインメーカー達はもちろん私のような営業の中にも芽吹きました。そして今、シャトー・メルシャンという世界に誇れるワインとして結実したのです。
野菜も果実も魚介類も肉も純国産ものは珍重されます。ワインだけが舶来品至上主義から脱しきれず、軽視され続けています。少なくともシャトー・メルシャンの現時点での品質は、もっと普及してしかるべきだと自負していますが販売は容易ではありません。本気でワインを生産している国に行けば、レストランのメニューは自国のものが大半を占めています。早くそうなるように、品質の更なる向上はもちろんのこと販売に於いても成功をおさめ、他のワイナリーと共に日本ワインの地位を確立していきたいと思います。
残念ながら日本のワイン用ブドウ栽培条件は、ナパ・ヴァレーのように大志を抱いてワインを造り始めた新進のワイナリーが、ほんの数年でめざましい結果を出せるような気候風土ではありません。しかし宿命的風土論の呪縛から強い意志の力で抜け出した所に、我々は長すぎた夜が明けるのを見たのです。
現在私は日本リカーに出向し、直接シャトー・メルシャンを販売する立場にはいませんが、軸足がそこにあることに変わりはありません。その成功を願ってやまないのです。