大瀧詠一さんが亡くなった。わずか65歳だったそうだ。早すぎる。日本のポップス界にとって巨大な存在だったし、俺にとっても巨大な存在だった。
高校生の時、夕日の歩道橋で伊藤銀次の[Planet Girl]を声張り上げて歌ったっけ。
友達が「おまえ、歌うまいなって」。まあ歌えない歌はちっともうまくないわけだが…
俺は基本的に声を張って謳い上げるスタイルの歌い手が好きだ。山下達郎なんかはヴォーカリストとしてもドンピシャだ。
割りとヴィジュアル系のバンドも嫌いではない。彼らは声を張るからね。
でも大瀧さんの唱法はそうではない。なんというか独特の抑揚で歌って行く。
[EACH TIME]が出た後辺りに本人が言っていたのだが、[A LONG VACATION]以降、松本隆の詩を歌う時にはいろいろ計算していたのだそうだ。
母音と子音に分解して、まるでさざめく波のように乱数を意識して歌っているとか言っていなかったか。
もちろん歌い方に再現性があるから波のさざめきのようというのは一つのイメージなのだろうが。
高校の時住んでいたマンションでソニーのステレオを結構な音響で鳴らしていた。
当時は漠然とミュージシャンにもなりたかったので、声を張って歌ってもいた。結構な近所迷惑だ(笑)
あまりにも歌い上げる時にはクッションを口に当てて歌っていた。
けど大瀧さんの歌をなぞる時にはそんな心配はなかった、と思う。
[ペパーミント・ブルー]が大好きだったなあ。
「そんなふうに僕たちも愛せたらいいのに、水のように透明な心ならいいのに、…」そう本気で思いながら歌っていた。
一時期は結構、抑揚を綺麗にコピーしていたように思うのだが、いまはもう出来ないなあ、きっと。
俺はヴォーカルから曲に入るから、まずそこを特筆してしまうのだが、大瀧さんは最高のメロディメーカーで多数の楽器が弾けて、ミックスダウンやストリングスアレンジさえも出来る人だ。
その上傑出したプロデューサーだったから、有能なミュージシャンを多数起用したし、世に出す手伝いもした。
スーパーでスペシャルでグレートな人だった。SSGだね(笑)
俺は高校生の頃は心酔してる山下達郎か大瀧詠一が死ぬる目にあったら替わりたいくらいに思っていた。
此の世から最高の物・人が消え去るのがよくないこと、あってはならないことだと思っていたのだろう。
いまはそんな風には思わない。それだけうすら汚れたのかたくましくなったのか分からないが、多少はナイーブじゃなくなったのだろう(笑)。
それに、ここまで生きてきた途中でルサンチマン批判にはまり、
さらにそのルサンチマン批判自体を克服する手立てとして禅を選んだ。だから俺自体の偏執性は良くも悪くもだいぶ失われた。
伎芸を磨くには当然、偏執性が必要であろう。
そしてまたルサンチマンを全く抱かない人間がいるのかもわからないし、ルサンチマンとコンプレックスも表裏一体でありそれをまた昇華して伎芸を磨くのだろう。
そういうものを捨て去り、離れて自由になろうとした俺はまた大瀧詠一や山下達郎からも少し離れたのだと思う。
けれども今も敬愛し憧憬する人の筆頭であることは間違いない。
最近は10代のころ影響を受けたような人々の訃報をちらほら聞くようになった。
漠然と大瀧さん辺りが亡くなったらどれだけショックなことかと思っていた。
けれどそれは、最低でも大瀧さんが78歳か85歳とかになってのことだな…と思っていた。
65歳とはあまりに早すぎる。
大瀧さんの[EACH TIME]というアルバムが好きだ。
それでもリリースのリアルタイムではなく、一年くらいのラグを経て、はまったのだと思う。
当時は、それ以降もうアルバムを出さないなどとは思っていなかった。
その後大瀧さんは2枚のヒットシングルを出したけれども、
あの流麗な松本隆の詩を流麗なメロディに乗せた曲を、多数のミュージシャンを使った壮大なアレンジで聴く…、という機会には恵まれなかった。
けれど、どこかで楽しく大瀧さんが生きていてくれるだけでいいと最近は思っていた。
あってはならないことが…、あってはならないことが、ああ…
人は死ぬるものだな。改めてそう思った。こんな怠惰に生きるつもりじゃなかった。去年以上に今年は文字通り背水だが頑張ろう。こんな個人のちゃちな思いに大瀧さんの死を落とし込むのもどうかとは思うが、何から離れようとも決して自分から離れることは出来ないしね。生きている限りは。
