心の中で『このままでは家族がダメになる』と感じた。

自分の事しか考えていなかった自分が愚かに思えた。

本当に辛いのは、それを受止める妻や家族なのだ。




病人はDr.が診療してくれるが、

それを見守る家族の健康を支えてくれる人は居るだろうか?

自分の健康を省みず心身共に疲れきったなかで、

オレのことを心配してくれる妻が可哀そうに思える。

家に帰ってまた家族団欒の明るさを取り戻さなければ…

それがICDを植込む決意をさせた。




2003年12月3日、皆が心配してくれるなか、

自分は麻酔で分からないまま手術は無事成功した。



ペースメーカーよりもひとまわり大きく

ジッポーライターの形をしたアメリカ製のICDを植込んだ。




胸に異物感はあるものの日常生活には殆ど支障ない。

車の運転や激しい運動に制限があり単独行動が不自由である。




自宅でパソコン(CAD)を使って仕事はしていたが、

タバコも止め、唯一の運動だったゴルフを止め、

愛車のチェロキーも手放した。




それでも、妻の運転する車に乗り、よく出かけた。

調子にのって温泉旅行にも行き、晩酌も欠かさず、

好きなものも食べて、パソコンで遊び、
愛犬とじゃれたりしてダラダラした生活。




暫くは安定した日々が続いた.

しかし、時折発作が出てICDが作動する。




その度に死に直面し生死を彷徨うと、

死にたくない!死ぬのが怖い!と思うようになって来た。




そして時間が経つに連れて、あの時のことをすっかり忘れ、

面白くない事があると、悪いと分かっていてもつい妻に

八つ当りをしてしまう。



謝る言葉や感謝の気持ちを伝える事なく時間が過ぎていく。

妻はいつもサバサバとした態度で対応していてくれた。



逆の立場になれば簡単に分かることだが本当に辛かったろう…

申し訳ないと思う。



「わるかった」とか「ありがとう」と言えなかった事が、

オレの中で発作ではない胸の痛みを感じた。

地元の病院から転送され、どれくらい経った頃だろうか。


担当のDr.から提案があった。

「万が一の時、心臓に電気ショックを与える装置

ICD)を身体に埋込めば家に帰すことが出来る」


ICD(心室頻拍除細動器)とは簡単に言うと

最近公共施設などに設置されているAEDを小型化したものだ。


だが心臓にそんなものを植込むなんて。

恐ろしさと怖さでとてもそんな気にはなれない。





暗い入院生活が続いたある日。

妻が噛潰した小声で「家に帰えろ・・」と言う。





最初は何のことだか分からなかったが、

笑顔しか似合わない妻の顔がやたら淋しそうで

眼には涙を浮べていた。



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この闘病日記は2006年に書かれたものです。

父が残したそのままの形で掲載したいと思いますが、

多少、加筆修正を行っております。


内服薬で病気の進行を遅らせる治療を行うが、

発作(心室頻拍)が起きるたび突然死の恐れがあるため

入退院を繰返えすことになる。



2003年1011

体調がおかしいので外来を受診した。

足に浮腫みが出ている。脈を測り、そして…




担当医のDr.が、いきなり診療室の机を両手でバンと叩き

「ストレッチャー!」と叫んだ。



・・・とうとう地元の病院では手に負えなくなり

救急車で循環器内科の設備が整った専門病院に移された。


その後も発作は続き、転送先のDr.から

「この状態では死ぬまでずっとこの病院を退院できない」

そんな風に言われた。



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この闘病日記は2006年に書かれたものです。

父が残したそのままの形で掲載したいと思いますが、

多少、加筆修正を行っております。