馬鹿話ばっかり続いていたので、たまには心温まる話もしてみたい。


「ベトナムでそんなまともな話があるのか?」と疑う向きもあるだろうが、まぁとにかく聞いて欲しい。


俺がこちらに来て5年ほど経ったとき、ハノイである証券会社のオープニングセレモニーがあった。


その証券会社がハノイ株式市場に上場するセレモニーで、ベトナムの経済界や政府関係者の方などかなりの大物ゲストが集まった盛大なパーティーだった。


そのパーティーの中で、国営ベトナム放送局の局長からスタッフ一同までが1つのテーブルに固まってた。


俺はそのパーティーに招待されて、経済の発展国である「日本の元証券マン」と言うことで1時間のスピーチを頼まれた。


まあ、バブル時代の日本の様子などを適当にスピーチした。


そのスピーチの後、ベトナム放送局の連中が俺にインタビューしてきた。


当日のニュースに、俺のスピーチを含めて今日のセレモニーを放送する予定らしい。


内容はご多分にもれず、日本のバブル時代の話や、いかにして太平洋戦争のあと最速で日本は経済発展ができたかと言うお堅い話であった。


正直俺はこの手の話は同じことの繰り返しなのでめんどくさいし飽き飽きしていた。


本を読めば分かることだ。


そして俺の言うことを、背の低い日本語担当のおばあちゃんが逐一通訳してくれた。


どう見ても60才以上だ。


俺は「こんな高齢のおばあちゃんが、現役で日本語の通訳をやってるんだ」と妙に感心した。


しかし人間の声と言うものは不思議なもので、何年たってもその特色と言うものは変わらないものらしい。


その時のおばあちゃんの声が、俺が中学1年生の時に聞いた短波放送の「ベトナムの声」のアナウンサーをやっていた女性の声によく似ていたので俺は思い切って質問した。


「あなたは昔、もしかして『ベトナムの声』の日本語放送の担当をやったことがありませんか?」

と聞くと


「はい、やったことがあります。しかしもう30年以上前の話です。当時は私しか日本語を話せるベトナム人が放送局にいなかったので毎日私が担当していました」と答えた。


間違いない。


その答えを聞いて俺は、彼女の腕をとって思いっきり握手をした。