当時毎日新聞を賑わしていたベトナム戦争の中でのベトナムのイメージは
枯葉剤
火炎放射器
ボートピープル
貧困
村人の虐殺
などの悪いイメージのキーワードしかなかった時代の話である。
関西の私立大学を卒業した俺はこの言葉を頭の中に起きつつ就職活動したが結局は第一希望の商社には入れずに証券会社に入社したのであった。
しかし実際にバブル時代の証券会社の営業の酷さは目に余るほどで別編の「バブル時代へGO!」に記したようにとてもまともな人間に我慢できるような仕事内容ではなかったので28歳でやめた。
その後は当時ITという言葉がなかった時代にパソコンの高齢者向けの教育を行う会社を設立して13年が経過していた。
会社自体はパソコンとインターネットの普及に伴って順調に推移していたのであるが、いまひとつ日本国内における仕事の単調さと余りも毎日に刺激がないと言うことで自分自身に100%満足ができてなかっなかったのが正直なところである。
まぁ贅沢な悩みではあるが。
それに加えてコンプライアンスなんぞができたおかげで日本の企業が以前のようにダイナミックに企業活動ができなくなったのも理由の1つだ。
あとこれはまったく個人的な理由であるが日本の若者に全く覇気が感じられなくなった。
俺たちの時代の若者って言うものは「頑張って日本を良くしようぜ」って言う意気込みや夢があったものであるが、今はもう毎日下を向いて塞がっている若者たちを見ると日本に将来はないと感じだしたのである。
そこでたまたま2005年に観光旅行で来たベトナムのあまりにも常識外れのエキサイティングさを見てしまって「老後住むならここだな」と思った次第である。
順番は逆になるがベトナムに来て生活をしてから改めて高校3年生の時に聞いた住友商事のOBの言葉を思い出した。
「45年前の国に来て戦っているんだ」と言う実感が現在の俺にはあるし満足している
確かに生活していると街は汚いし文化も違うし言葉もわからない「ないないずくし」ではあるが全てそういったものも含めて楽しまなければいけないと思っている。
15年間の俺にとってのベトナムは「ドッキリ・ビツクリ・ガッカリ」の国であり全てを楽しんでいる。