子供のころに3度のベトナムとの接近遭遇を経験した俺に決定的なチャンスが訪れたのは高校2年生の秋のことであった。
当時、俺は兵庫県内の進学高校に在籍していた。
うちの高校の毎年の行事の中で1年1回、OBを招いて「実社会の実体と現在の仕事内容」を詳しく説明していただくと言う貴重なプログラムがあった。
1 .2年生の時の話はあまり覚えてないが、3年の時に来たOBは住友商事ベトナムホーチミン支店の方で、我々在校生に1981年当時のベトナムの様子を赤裸々に語ってくれた。
そもそも俺はこの退屈なプログラムが嫌いだったので、1年と2年の時は途中でこっそり体育館を逃げ出して近くのゲームセンターに行った記憶がある。
当時爆発的に人気があったインベーダーゲームの引力には逆らえなかったのである。
この時も逃げ出す準備をしていたら、話がすでに始まっていて
「まず、自分が働いてるベトナムではバイクのことを『ホンダ』って言うんだよ」
「え?」
ちょっと面白い話から始まったので、逃げることを一時中断して話を聞くことに決めた。
ましてバイクが好きだった俺には興味のある話題だ。
それと内容だけでなく、高校生にベトナムの現状を伝える中での話法や口調、例え話などの話し方が非常に上手だったこともインベーダーゲームの引力に勝った理由だった。
ベトナム戦争が終わったのは1975年である。
そのわずか5年後のベトナムの悲惨さと枯葉剤で被害を受けた子供たちの話もわかりやすくしてくれた。
大国のエゴによって関係ない国民が蹂躙されていった話はすでにサイボーグ009で読んだ話と合致したのである。
この毎年行われる「実社会で活躍するOBの話」を聞く会は基本的には座席は自由であったが俺はいつの間にか最前列に座っていて先輩の話を食い入るように聞いていた。
スピーチが終わってみればあっという間の1時間半の時間が経っていた。
太平洋戦争後45年経っていた当時、先輩が最後にこう言った一言が非常に強烈であり記憶に残っている。
「タイムマシンで45年前に行く事は不可能であるが45年前の国に行く事は可能であり、その国はビジネスチャンスがたくさんある」
この言葉が非常に印象的であったのだ。