2回目のベトナムとの接近遭遇は、「実際のベトナム戦争」をナマで体感した時のことだ。


俺は神戸で生まれた。


神戸というのは当然知っての通り港町である。

であるから常に外国からの大型船舶が頻繁に出入りする街なので六甲山の山の中腹に住んでいた俺の家からは港に入ってくる大きな船の出入りはよく見えた。


俺の趣味は海軍の軍艦マニアである。


子供の頃からプラモデルメーカーの田宮に支払った金は相当な金額になる。


ある日、俺は小学校から帰るときに神戸港を見下ろすとアメリカ軍の空母と思われる軍艦が何隻か神戸港に泊まっていたことがある。


これは絶対見に行かなければならないと軍艦マニアの俺の心が叫んだ。


そして父親からカメラを借りて神戸港まで空母の写真撮影をしに行ったのである。


埠頭に接岸している空母を間近で見て俺は最初は興奮のあまり「これがアメリカの空母かと」見上げながらシャッターを切ったことを覚えている。


しかしそのいたいけな軍艦マニアの心が凍りつくシーンが俺の目に飛び込んできた。


空母の中からはストレッチャーにのせられた包帯でぐるぐる巻きにされた、まるでミイラのような兵隊や、手足を吹き飛ばされた兵隊たちが松葉杖をつきながら上陸してきたのである。


後から聞くとベトナム戦争で負傷した兵士たちはまずは沖縄のキャンプで手術や治療をするのであるが重症患者の場合は設備の整った神戸の病院に連れてこられたらしい。


俺はぞろぞろ出てきた負傷者たちの列を見ながら空母にシャッターを切るのを忘れて「これが本当の戦争の姿なんだな」と子供心に感じたのである。


3回目は、俺が中学1年生の4月の30日のことである。


当時の俺は日本中で流行っていたBCLと言って世界中の放送局を短波で受信すると言うこれまたオタクが喜びそうな趣味にはまっていた。


この4月の30日と言うのはベトナム戦争が終わった日のことである。


この日の早朝、俺は祖父に買ってもらったソニーの「スカイセンサー5900」と言う名器でベトナムの声(ボイスオブベトナム)の日本語放送を聞いていた。


その時に若い女性のアナウンサーが日本語で「皆さん喜んでください!今日 戦争が終わりました」と言う歓喜に満ちた甲高い声を聞いたのであった。


俺は「そうなのか。やっと長いベトナム戦争が終わったのか」と言う実感が、実際の短波放送の生の声を聞いて湧いてきた。



このようにして俺の子供時代は3回のベトナムに関しての遭遇があったと言うことをまず伝えておきたい。


3回目の「ベトナムの声」に関しては俺がベトナムに来てからの心温まる後日談があるので特に覚えておいて欲しい。