今までベトナムに派遣された経理担当部長が4人に1人の確率でカーツ大佐になってしまうと言う事実を述べてきた。

さらにここから発展して2つのパターンに分かれる。

1つ目はいかにベトナム姉ちゃん達にカーツ大佐の散財ぶりや傍若無人ぶりを披露していても本社から役員や社長が来た途端に今までの勢いはどこへやら、慌てて矛を収めてしまう「偽カーツ大佐」
まあ、所詮は「虎の威を借る狐」だ。

2つ目は本当に気合の入ったカーツ大佐の出来上がりである。

これは見応えがある。

本社から役員が来ようが社長が来ようが、ベトナムにおける自分の立ち位置みたいなものを哲学的に確立しており少々のことでは全く揺らぐことがない。

「人生の意義」とか「自分が生まれてきた理由」とか「ベトナムにおける自分の存在理由」みたいなところまで到達して、ほぼ宗教に近いような確固とした概念を確立している。

俺はこの後者のカーツ大佐が大好きである。

あの「日和見主義」の部長がよくぞここまで到達したと賛辞を惜しまない!

日本人は何かと上役の気を使ったり機嫌を取ったりとなげたくない変化球を投げるので忙しい人たちが多い中で悟りを開いて剛速球しか投げないのがこの人種である。

最終的にはこの「本物カーツ大佐」はどこに行きつくかと言うと、全く映画と同じように毎日本社との激しい意見の衝突が始まる。

大本営である日本本社は実弾が飛び交う最前線の戦場の事など全く理解できない。

だから机上のプランで持って簡単に計画を立ててその実行を現地部隊に命令するのである。

一方最前線の兵士はこの無理難題を現地で揃えられるものだけで戦わなくてはならないのだ。

しかも「いついつまでに」と言うような期限付きである。

この不合理な状況に毎日晒されるのである。

心の中では「お前、できるもんやったらお前がやってみろ」と言うのが本音であろう。

最終的には日本のコンプライアンスとかしきたりとかあまりにも細かな命令に合わなくなり見限ってベトナムでさっさと自分のレストランなり会社なりを立ち上げて独立してしまうパターンになる。

もちろん愛人となったベトナム姉ちゃんとの共同経営である。

もうこうなってしまうと上場企業に属してる自分の地位であるとか日本に残した大切な家族の事なんかは本当に「些細なこと」になってしまうのである。

物差しが変わる瞬間だ。

見事な変化である


こうなると俺は悲しい性で全力を挙げて彼らを応援したくなる。

実は俺は2ヶ月に1回のホーチミン市内に住むこの「カーツ大佐達との飲み会」が1番楽しみになっている。

がんばれカーツ大佐!