これが今のホーチミン市役所です。フランス統治時代の面影を残したこのおしゃれな建物は、多くの観光客が一番集まり写真撮影にている牧歌的な光景がいつも見られます。




しかし私にとってここは美しい外観とは裏腹にいまわしい「古戦場」なのだ。あの概観が難攻不落の城塞に思えたことがあった。
前を通ると古傷が痛み出すほど「へとへと」経験をさせられた過去がある。

市役所近辺の動画はこちら

12年以上前、まだ日本とベトナムを3ヶ月単位で行ったりきたりしていたころのお話です。
私は日本とベトナムの企業を繋ぐべく投資コンサル会社の設立を考えていた。日本では法人設立は今では1円の資本金からお手軽にできることであるが社会主義のベトナムではまずこの法人設立と言うのが我々外国人にとって大きな壁になる。
それとすべての職種にライセンスが必要なので会社設立イコールライセンス取得の同時並行作業となる。日本でライセンスと言えば金融、放送、学校などごく限られた分野でしかないがベトナムでは「投資計画局」というわけのわからない部署がこの発行の判断と許可を行う。
ベトナムで法人の設立をするときは主に3通りある
1 会社法に強い弁護士に当たる
2 会計士に頼む
3 コンサル会社に頼む
私はこの3番目のコンサル会社をやろうとしていたので、自分の自らの力でやろうと思った。なぜならそれができて初めて他人のコンサルが出来るのであるからだ。
私は古戦場のホーチミン市役所の中の投資計画局に行き、投資コンサルのライセンス発行の申請と同時に法人設立の手続きを行った。このころはまだWTOに加盟していないときで外国人の法人設立はきわめてハードルが高い時代であった。
この担当がまたお世辞にも別嬪さんとはいえない部類のオールドミスであった。
さっきも言ったように3ヶ月毎に日本とベトナムを往復しているころだったので、書類を提出して彼女に聞いた。「いつライセンスが降りますか?」
「3週間後です」
「3週間後の何曜日ですか?」
「曜日は連絡します」
「そのあたりで日本に帰国するのでできたら知りたいのですが」
「それは上が決めることですのでわかりません」
にべもない返事
まあ、とりあえず今回ベトナムにいる間にライセンスが下りるであろうとまだベトナムでの戦い方に不慣れな私は安易に考えた。今思えば大甘である。
3週間が過ぎてそろそろ日本に帰らねばならない。しかし連絡が無い。
通訳に電話させる
「電話しました、来週になるそうです」
「来週?来週はおれは日本だぞ、で来週のいつだ?」
「わかりません、聞いたけども上の判断だそうです」
「では、おれが日本いる間におまえが行ってもらってきてくれ」
「だめです本人のサインが必要です」
「うーん」
しばらく考えて飛行機のチケットを変更して滞在を1週間伸ばした
その1週間後の月曜日
「おい、まだ連絡は無いか」
「ありません」
「今から市役所に行くぞ」
「え、なんでですか?、まだでいいてないんですよ」
「とにかく、来い!」
いやがる通訳の耳を引っ張って市役所についた
「3週間待ったが、さらに1週間待たされた、いつできるのだ?」
いやがる通訳にそう言わせた
「たぶん明日でしょう」
「わかった明日また来る」
翌日、連絡がない
「今から市役所に行くぞ」
「え、なんでですか?、まだ連絡がきてないんですよ」
「あのばばあは、今日と言ったから取りに行く!」
「しかしできてないかも」
「そんなの関係ねえ!」
当時の流行セリフであった
「おいばばば!(これは心なのかで言った)今日もきたぞ、書類はできたのか?」
「上の人がハノイ出張なのでできません」
「昨日は今日出来ると言っただろうが!」
「しかし上が決めることなので無理です」
「よし決めた!明日から朝一番からここに来て、毎日あんたの退社時間まで座り込む」
「そんなことをしたら気分を害してライセンスが下りませんよ。ライセンスが降りなければ仕事が出来ません」
「かまわん、降りなくても現状と何ら変らん、さいわい仕事が無いから時間だけははある」
翌日から3日間私はばばあの前の椅子に座り込み作戦を敢行した。
目の前のばばあとたまに目線が会い火花が散る。
3日目の夕方、さすがにばばあも参ったのであろう。
「やっとハノイから帰ってきた上から許可が出ましてライセンスが降りました。ここにサインしてください」
ばばあの後ろに座っていたおっさんがこっちにやってきいて、先にまずサインをしてその横に私がサインをする。
「この人が上の人?」
「そうです彼が全部決めます」
思い返せばそのおっさんはハノイなどは行かずにずっとばばあの後ろに座っていた記憶がある。
つまりサインしようと思えばいつでもできたのである。それをくそ忙しい人間に対してああだこうだ言いやがって・・・・
まあ怒り心頭であったがせっかく取ったライセンスを反故にされるのもいやなのでそこはおとなしく帰ったのである。

ベトナム侮りがたし!

これが私のへとへとの旅の一発目であった。