ベトナムで行儀や整理整頓などを10年間教えている。
遅まきながらなぜベトナム人はすべてが「ゆるゆる」なのか自分でも結論が出掛かっている。
なぜやつらは常に「ゆるゆる」で、人の「ゆるゆる」を許せるのか・・・

結論は「上がりかまち」である。そうあの日本の玄関にあるあれである。段差のあるやつ。
ベトナム人は欧米人と違い家の中は土足ではない、つまり日本と同じように靴を脱いで上がるのであるがベトナムの家にはこの「上がりかまち」が無い。つまり玄関に入って靴を脱ぐのであるが段差が無いので同じ平面上に靴を並べる。だからどこからどこまでが靴置き場なのかがわからない。まして靴を「出船の精神」に基づいてくるりとドアの方向に回す気の利いた習慣も無いので靴の向きはさまざまな方向に向いていても誰も咎めない。



最初ベトナムに来たころは違和感があったが10年以上たつと平気になってきている。
これはまずい!やつらのペースに毒されて来ている証拠である。
しかし最近はこの「どこからどこまで」の領域意識が文明上必要だと思い出した。



つまり「けじめ」である。
日本人はこの玄関だけでなく常に「けじめ」を持って行動しているからよく外国から来た観光客に「規律の取れた国民」「ルールを守る国民」と言われるようになった。
ここベトナムではこの「けじめ」がないので一時が万事だらしないので「ゆるゆるの国」の称号を受ける羽目になる。
「時間のけじめ」
「公私のけじめ」
「ルールのけじめ」
すべてが0点に近い
信号があっても守らない
車道と歩道の区別が無い
ごみをどこでも捨てる
どこでも寝る



などなど
日本からの観光客はこのあたりのゆるゆるさが面白いらしくよく写真に取ったりしているが、ここで生活して仕事をしている我々はそういうわけにはいかない。
ベトナムらしさは必要であるが2020年までに工業立国を目指しているのであれば話は別だ。
私がベトナムの首相になっら真っ先にやるのが日本の「上がりかまち」 設置法案の可決であろう。
これは誰がなんと言おうが譲れない。