2016年1月23日 東京オペラシティの演奏後

 

今日はかなしい。起床と同時に飛び込んできた、指揮者スタニスワフ・スクロヴァチェフスキの訃報に号泣した。

 

いつかこんな日が来ることはわかっていたし、それがそう遠くないこともわかっていた。でももう一度もう一度でいいから、スクロヴァチェフスキ指揮のブルックナーを聴きたかった。いや、毎年「もう一度、もう一度」と言い続けたファンは多く、スクロヴァチェフスキはそれに十分応えてくださった。

「安らかにお休みください」と心の中で思いながら、とめどもなく涙が溢れてくる。しばらくは録音さえ聴けないだろうと思ったが、今、私はこれを書きながら、あのルービンシュタインとの共演のショパンピアノ協奏曲第一番を聴いている。

 

スクロヴァチェフスキは1923年生まれだから享年93歳だった。現在のウクライナ領となるポーランド出身の指揮者であり、作曲家としても活躍した。幼少の頃はピアニストを目指していたが、第二次世界大戦の時に手を負傷し指揮者の道に転向した。

のちにブルックナーの指揮で独自の解釈を追求するスクロヴァチェフスキは、わずか6歳の時に近所の窓から聴こえてきたブルックナーの交響曲に天啓のようなショックを受け、その後高熱を出して寝込んだというインタビューがある。

 

実は私はスクロヴァチェフスキとの出会いはとても遅かった。2011年の5月に小澤征爾さんが降板したベルリンフィルの演奏会の代役として25年ぶりに指揮をした時、ベルリンからの生中継を見て、それこそショックを受けて以来のファンなのである。

この年は大震災があり、多くの来日アーティストがキャンセルする中で、スクロヴァチェフスキは決然と手勢と言われた楽団を連れて秋に来日した。ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団である。

 

ちょっと話はずれるが、私はちょうどこの年に一年間かけてマーラーを聴こうとしていた。マーラーがよくわからず(今は少しわかるようになりました)、四苦八苦しながら何がいいのか解明しようと躍起になっていたのだ。その時に、ある人が「ブルックナーとマーラーの両方を指揮ができる指揮者はインチキだ!」と言っていた。私はそんなものなのかな、と思ったのだが、確かにスクロヴァチェフスキはブルックナーに生涯をかけ、こんなに流行っているマーラーをおそらく振ったことがない。そこにはブルックナーとマーラーの本質的で決定的な質の違いが横たわっているのだろうと思う。

 

5月のベルリンフィルと10月の来日公演では、スクロヴァチェフスキの指揮には共通の要素があった。それは相手が誰であれ音楽に関しては「厳しい」ということだ。自分の解釈を表現するよう徹底的に要求する。それは当たり前でしょ、と思われるかもしれないが、ベルリンフィルやウィーンフィルなどの高水準オケではよっぽど相性の良い指揮者でない限りいうことを聞かないという。だが、スクロヴァチェフスキはベルリンフィルにも妥協をしなかった。演奏会の様子を見ていると、団員に余裕がない。もしくは笑顔がない。

そして自分が率いる楽団であっても、その態度は変わらなかった。背中から伝わってくる何をも寄せ付けない厳しさが演奏にも現れ、金縛りにあったような気分で固唾を飲んで聴いていたことを思い出す。

私はスクロヴァチェフスキのこの厳しい演奏態度というものに魅せられてしまったのだと思う。

そしてその後、ほぼ毎年来日されていたので聴きに行った。ほとんどが読売日響との共演である。だが、読売日響に対しては、なぜかドイツオケに対する厳しさと同質のものがないわけではないが、それほど強くなかった。どちらかというと、親のような態度で大きな手を広げて教え導いているような印象が強かった。読売日響はスクロヴァチェフスキの時には人が変わったように強烈な潜在能力を発揮し、それに応えた。

毎年スクロヴァチェフスキ来日が決定すると、「どうか無事に来日してくださいますように」と祈るような気持ちで過ごしていた。演奏会の日が近づくと「もう到着されたのだろうか」と心配をした。そして演奏会が終わると「どうぞ来年もまた来てください」と願った。

 

昨年の1月にブルックナー8番を池袋と初台で聴いた。もうこれ以上はないかもしれない、と切ないほどの思いに取り憑かれた。そして一目でいいからスクロヴァチェフスキにお礼が言いたかった。車に乗られるマエストロにポーランド語で連呼し続けた。「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」

 

さようならマエストロ スクロヴァチェフスキ

本当にあなたに出会えたことは私の、音楽人生に大きな影響と豊かさを与えてくれました。

 

きっと今頃、天国の門でブルックナーやショスタコーヴィッチ、数々の名演を共にした往年の共演者の方々に迎えられていることでしょう。

 

安らかにそして天国でも厳しくて実直な演奏を聴かせてください。