アレクセイ・リュビーモフ ピアノリサイタル
2016年5月18日 19:00
豊洲シビックセンターホール
ピアノ FAZIOLI
プログラム
C.P.E.バッハ 幻想曲 嬰へ短調
A.ペルト パルティータ 第2番
アリーナのために
V.シルヴェストロフ ソナタ第2番
C.ドビュッシー プレリュード:雪の上の足跡,ミンストレル
モーツァルト ソナタ ニ長調 K311
シューベルト 即興曲 D899 2,3,4番
アンコール
モーツァルト 幻想曲 ニ短調 K397
ショパン バルカローレ
スクリャービン Op.32-1
アレクセイ・リュビーモフを初めて聴いたのは、2014年11月のことでした。名前と演奏の素晴らしさだけは聴いていましたので、ぜひとも聴いてみたい、でもなかなか来日がないアーティストで、私にとっては幻のピアニストだったのです。そんな時に突然、京都の法然院でリサイタルが行われるという情報が入ってきて、東京ではやらないのか~!と思っていたら、程なくして、杉並区のサロンでリサイタルが行われる情報が入ってきました。こういう素敵な企画をするのはどちらなのかな、と思ったら、それがロンドンに拠点を置かれて「知られざる本物の音楽を届けたい」と活動されている、M.C.S.だったのです。
それから2年後の今日、再びリュビーモフさんの演奏を聴くことができました。今回はA.ペルトとシルヴェストロフの現代曲が前半の目玉として組まれています。
偶然ではありますが、今日は都響の定期演奏会の日でした。そこでもA.ペルトが取り上げられています。本来なら、そちらへうかがう予定が、リュビーモフさんのピアノが聴きたくて、こちらを選びました。
C.P.E.バッハからシルヴェストロフまでは、楽譜を置かれていました。見るからに使い込まれた変色した楽譜で、複雑で凄まじいこれらの曲を弾きこまれてきたのだな、と感じさせました。
ペルトは現代曲とはいえ、メロディや音色の美しさで聴く者の耳を捉えて離しません。アリーナのために、は良く知っていますが、こうしてメインのプログラムの中でじっくりと聴くと、一つ一つの音がただ技巧的な美しさを放つのではなく、言葉として語られているかのようでした。会場からため息が漏れました。
最も興味をかき立てられたのは、シルヴェストロフです。これは難解という言葉が今のところふさわしいかと思います。ピアノの弦に直接触れる演奏箇所が繰り返しあり、現実か虚構か不安をかき立てながらも、しだいに遠くから聴こえる美しいフレーズ(なんだかセイレーンの歌声のようにも思えました)にとって代わっていく……。緊張感と集中力を要求する現代曲を聴くと、私は妙に頭の中が静かになるのです。
ドビュッシーに入ったとたん、空気がガラリと変わりました。リュビーモフさんも、楽譜なしで解放された表情で弾かれています。
喜びの島はもちろん大好きな曲。ファツィオーリで聴くドビュッシーは誠に美しいのです。この演奏が終わったとたん、ブラボーの声が方々からあがりました*\(^o^)/*
リュビーモフさんの演奏では、ファツィオーリの特性を熟知され十分に引き出されるので、低音から高音まで、この楽器の凄さというものを教えてもらえました。
ファツィオーリはスタインウェイのようにホール環境によって左右され音が変わるのではなく、もちろんここに弾き手の実力が伴わなければなりませんが、楽器そのものの鳴らす力というものが優れているのだ、ということもわかりました。このホールはそれほど残響がなく、どちらかというとデッドでファツィオーリの低音の響きをしっかり支えるように聴こえました。
さて後半、モーツァルトのソナタの後は、曲目変更になりシューベルトの即興曲です。シューベルトはリュビーモフさんの看板演目です。それをファツィオーリで聴くことで、また違う味わい深さを。これはもう生きざまそのものなんでしょう。快速高速のD899 2番、これをファツィオーリで聴くと……なんとも音がまろやか、真珠のネックレスです。
アンコール一曲目、あれ?外されたはずのモーツァルトの演目がここで登場です。会場から少し笑いが聞こえました^ - ^
リュビーモフさんもレパートリーの広い方で、バルカローレの冒頭から、あたたかいうららかな空気が全てを覆い、有無を言わせないのです、ああ、これが本物のバルカローレなのか、と思わずにいられません。ショパンとは単なる技巧ではないのだ、やはり心なのだと思いました。
サインをいただいたCDは、ストラヴィンスキーとサティがおさめられています。リュビーモフさんは絶えず進化を続け、新しい試みをし続けるピアニストであり、革新的と言えるのでしょう。これからも新しい提案をリサイタルを通じて私たちに投げかけてほしい、と思います。