Facebookを退会した。

理由は『友達』が出来ずにまったく活用出来なかったから。

いや、実際には何人かとお誘いを受けたりお誘いをしたりして『友達』になったのだが、それは全て現在近くにいる方々では無く、結局コミュニケーションを取る事も無かった。

最初は誰かのページを閲覧し『友達』が300人とか言うのを見て「スゴいなぁ」なんて思っていたが、その300人『友達』がいる人の友達も300人『友達』がいて、その内容を見るとかなりの人数が被ってたりする。
かなり誇張して言うと「人口301人しかいない小さい村で全員が知り合い」 みたいな感じ。

結局は職場等で今、現実に接してる人の集まりなんだなぁって事を痛感した(ソーシャルネットワークってそういう物だけど)。

現実世界で友達のいない僕には「クインシー・ジョーンズとの出逢い」みたいな素敵な出来事は無くLive your life off the wallする事になりました。アォッ!





文章の語尾に「(笑)」と付ける人がいる。

「(笑)」は元々は議会の議事録や座談会の記事等で、その場の様子を表す為に使われていたらしい。

それは理解が出来る。
その発言が面白いかどうかは別にして、そこにいた誰かが笑ったのは確かだから。

ただ最近よく目にするのは一般の人が書いている一人称の文章でだ。

「ここ笑い所ですよ!」って事なのかしら?
だとしたら、なんかスゴイ自信だなぁと思う。

こんなブログを書いている自分も含め、最早「一億総作家気取り化」しているのだろうか・・・

でも、僕は作家や漫画家のエッセイを読むのが好きなんだけど、自分の文章に(笑)って付けてる人いないよなぁ・・・


シャツのボタンが留められない。

二週間程前、仕事でダンボールを潰す際に利き手の親指を切ってしまった。

結構深くやってしまい、かなり痛みを伴ったがスグに治るだろうと思っていた。

ところが、場所が悪かったのか傷口は更に広り、痛みも増す一方でここ数日はシャツのボタンを留める事すらままならない・・・

シャツのボタンを留められないと言えば『あしたのジョー』のカーロス・リベラを思い出す。

「無冠の帝王」と謳われあれだけ強かったカーロスがホセ・メンドーサにコークスクリューパンチ一発で倒され、パンチドランカーになってしまったのはとてもショックだった。

その後、変わり果てたカーロスは丈の前に現れ(ハリマオ戦の時だったっけ?)、丈はそんなカーロスのあまりに見すぼらしい格好を見るに見かねて真新しいシャツを渡すが廃人になってしまったカーロスは自分でボタンを留める事が出来ない・・・

僕はそんなカーロスを思い出しながら必死にシャツのボタンを留めようとするが、あの悲しいシーンを思い出し涙で手が覚束ない・・・

かくなる上は、家の人に留めてもらおうと思ったその刹那

ボタンを留められないカーロスを見て、留めてあげようとした丈も既にパンチドランカーになっておりボタンを留める事が出来ない・・・

「く…く…くそぉっ…ボタンをはめてやってくれ!」と西に言う丈のセリフが頭の中でグルグル廻り、「家の人がパンチドランカーだったらどうしよう?」と不安になる毎日である・・・