猫は足を失ったけど、まだやれると思った。
なんか、まだ歩けるんじゃないかって気がしちゃった。

足が足りない猫の歩行は、ぎこちなく、不恰好。
でも、猫はまだ生きてるから。
残った手足に恥じぬよう、歩きます。

その姿で、取れちゃった足を呼び戻す。
猫の決意です。

叶う根拠はありません。
でも、猫は知ってます。
歩みを進めるのは、自分の足だけではありません。
色んな見えない力が、励みとなり、追い風となり。
傾く身体を支えてくれます。

猫は生きてます。
だから憂鬱な気持ちにもなるんです。
でも、その「憂鬱」が、「前向き」を教えてくれました。

さぁ、もうちょっと頑張ろう。
意外とまだ、生きてるな。

猫は、綺麗にすまして歩けなくても、猫であることを諦めませんでした。

残った足に言います。





「ありがとう」




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無事、解散いたしました。

誰がなんと言おうがオレにとっては最高のバンドだったよ。


今はとりあえず終わり。

ただ、あさと曰く

ViENCaが終わるのは誰かが死んだ時。オレらまだ死んでねぇから!

うん、あさとを加入させて本当によかった!(笑)

でもね、その通りだよ、オレ達がしょうのベース愛を誰よりも知ってるからね。



いつの日かまた、どんな形であれ、ViENCaがステージに立てるように、そのための土台を無くさないように。


オレはまだステージに居ます。

全部、無駄になんかなってない。
間違ってない。



そう信じています。


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自分の中で、ボーカルっていうものの認識が変わってきた。

ボーカルが主役、みたいな優位性が物凄く気に食わなくて、声もひとつの楽器でアンサンブルの1ピースって思ってた。だから敢えてやればできる部分もわざと荒削りに歌ったりもしてた。

今も楽器である、という考えは変わらないのだけれど、他に取り替えようのない楽器だな、と思うようになった。
しっかり歌い上げることによって人でしか表現できないものができたりするな、と。
表現って何も感情移入、エモーショナルに歌い上げる事だけじゃないな、と。

要するに
はい、今日デスボシャウト禁止でーす
ってなったとして、オレはビアンカを表現できるかなって考えた時に、出来るなって思った。

有り体に言えばメロを大事にする、っての?

これがバンドにどういう色を加えてくれるのかわからないけど、少なくとも自らと向き合って見て気づけるものがあったのは前向きに変化してるって事かな、と。


ま、そんだけですわ(笑)