僕はどうしても教師になる夢を捨てきれなかった。それは僕の”いじめられた経験”や”悪の連中と関わった経験”や”劣等生として苦しんだ経験”が生かせる職業は教師しかないと思ったからだ。世間では”優等生がそのまま教師になる”ことが尊ばれていた。しかし、普通の学校の多くの生徒は優等生ではない方に属する。むしろ、僕のような劣等生人生を送ってきた人間の方が教師にふさわしいのではないか?この頃の僕はとても哲学的に教師という職業をとらえていた。

 

 大学4年の秋、私立高校の適性検査を受けた。事前勉強は何もしなかった。受験科目は、一般教養・教職教養・専門教科であった。数日後、結果が出た。それは5段階評価だった。一般教養はC。教職教養はD。専門教科はEであった。

 

 この頃の僕は数学科の大学に入学したにも関わらず数学が大嫌いで、はっきり言って数学を見るのも嫌になっていた。数学の教師を目指しているにも関わらず結果は最悪であった。

 

 実は僕は後年、30歳で公立学校の教員採用試験に合格するのであるが、その頃は専門の数学が最も得意で、時事通信や共同出版社が主催する”教員採用試験の模擬試験”で専門の数学の偏差値はつねに65以上。全国で一番の成績を取ったこともあった。

 

 しかし、この時の僕は大学の「永井ゼミ」ではダントツのビリ。完全な数学アレルギーであり数学ドランカーであった。

 

 私立の適正検査を受けたあと、ある親戚の叔父さんから「創世高校だったら、教員としてとってくれるかもしれないぞ。だめ元で電話してみたらいい」と言われた。創世高校とは、県内で最も偏差値の低い私立高校で、地方である僕の県では公立高校の典型的な”すべり止め”の高校であった。

 

 電話しって見ると以外な好感触。後日に面接をしたいので来て欲しいとのこと。そして、僕は創世高校へ面接に行くのである。