広島城へ♪
少しの時間でしたが、広島城へ行ってまいりました。
どどーん!と聳える天守閣。
戦国大名毛利元就の孫で、豊臣秀吉の政権下の五大老の一人
毛利輝元によって天正17年(1589年)広島城の築城が始まりました。
慶長4年(1599年)に城の全ての工事が終了したものの、
天下分け目の関が原の合戦で西軍の総大将であった輝元が敗戦、
徳川家康により萩(山口県)へ移され、城主は福島正則へと代わりました。
その後、福島は城と城下町の整備に尽くしましたが、
修復の際の許可手続きの不備を問われ領地を没収、
三代目の城主は和歌山藩の浅野長晟となり、
以後250年明治維新まで浅野氏が城主を務めたそうです。
余談ですが、分家の浅野家にはあの『忠臣蔵』で有名な
赤穂藩主の浅野内匠頭がおりますね。
残念ながら、天守は朽ちてしまいましたが、
昭和33年(1958年)に立派な五層天守が復元されたのでした。
そして中へ潜入~
武家屋敷の再現です。
お客様をもてなす床の間。
壁に掛かってる薙刀?がお武家さんらしい。
こちらは、商家です。
焼き物がたーくさん。
面白いものを発見!
この四角い箱は、箱膳と呼ぶそうです。
中には一人分の食器が入っており、それを取り出し
この箱を食卓として使っていたそうです。
望楼部に到着。
私が大好きな華頭窓が目の前に。
お~決~ま~り~の~
“天下取ったどー!!” (笑)
んん~、清々しい良い眺めじゃ。
と、なかなか楽しめたお城訪問でした。
どどーん!と聳える天守閣。
戦国大名毛利元就の孫で、豊臣秀吉の政権下の五大老の一人
毛利輝元によって天正17年(1589年)広島城の築城が始まりました。
慶長4年(1599年)に城の全ての工事が終了したものの、
天下分け目の関が原の合戦で西軍の総大将であった輝元が敗戦、
徳川家康により萩(山口県)へ移され、城主は福島正則へと代わりました。
その後、福島は城と城下町の整備に尽くしましたが、
修復の際の許可手続きの不備を問われ領地を没収、
三代目の城主は和歌山藩の浅野長晟となり、
以後250年明治維新まで浅野氏が城主を務めたそうです。
余談ですが、分家の浅野家にはあの『忠臣蔵』で有名な
赤穂藩主の浅野内匠頭がおりますね。
残念ながら、天守は朽ちてしまいましたが、
昭和33年(1958年)に立派な五層天守が復元されたのでした。
そして中へ潜入~
武家屋敷の再現です。
お客様をもてなす床の間。
壁に掛かってる薙刀?がお武家さんらしい。
こちらは、商家です。
焼き物がたーくさん。
面白いものを発見!
この四角い箱は、箱膳と呼ぶそうです。
中には一人分の食器が入っており、それを取り出し
この箱を食卓として使っていたそうです。
望楼部に到着。
私が大好きな華頭窓が目の前に。
お~決~ま~り~の~
“天下取ったどー!!” (笑)
んん~、清々しい良い眺めじゃ。
と、なかなか楽しめたお城訪問でした。