美しい松江城の天守
島根県の松江市といえば、千鳥城とも呼ばれた
松江城がございます。
お堀の橋を渡り、松江城の天守へとまいります。
遊覧船がゆったりと行き来をしていて、
とても風情がございます。
途中でみつけた、大変お色の鮮やかな紫陽花。
見惚れてしまうほどの綺麗さでした。
日差しの強さを和らげる木陰の道を登っていくと・・・
鮮やかな鳥居が印象的な城山稲荷神社もございます。
小泉八雲が散歩がてら参っていたことでも有名ですよ。
そしてさらに城郭をぐんぐん歩いて・・・
天守に着きました。
日本で現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、
高さでは3番目、古さでは4番目です。
桃山時代から江戸初期の武将で松江開府の祖、
堀尾吉晴が慶長12年(1607年)にこの天守を築き、
また5年の歳月をかけて慶長16年(1611年)に
松江城を完成させました。
堀尾氏の代から京極忠高に代わり、
寛永15年(1638年)から徳川家康の孫の松平直政が
出雲松江藩の初代藩主となり、以後松平氏は明治維新まで
234年間も続いたのです。
長い江戸時代が終わり明治4年(1871年)に廃藩置県によって
松江城は廃城となり、その2年後には国より廃城令が出されたため
城郭の建物は撤去されましたが、この天守は地元の豪農や
旧藩士たちの懸命な働きによって買い戻されて、現在まで
保存されている日本の天守としては非常に貴重なのです。
再建された鉄筋コンクリートではない
江戸時代からの木造の現存天守です。
↑ここかなり重要
入母屋破風(天守の美観に重要な中央の三角形の屋根部分)
に作られた寺院式の華頭窓が粋です。
なんという格好良さなのでしょう・・・・
下見板張りという古い様式の黒い板を纏った姿は
本当に美しい・・・
天守の石垣も戦国時代に使われていた野面積みという方法で、
加工していない自然の石を積み上げた頑丈なものです。
木彫銅張りの鯱の高さは現存のものでは日本最大!
さて、中へ入ってみましょう。
立派な五層の外観ですが、中は6階になっていて
一面古き良き木造の温もりが感じられます。
天守内には、籠城時の生活に備えて飲料水が飲める
地下の井戸が唯一現存し、また石垣に登ろうとする敵を
落とす石落としなどもございます。
ちょっと暗くてお写真上手く撮れませんでした。
各階には、沢山の貴重な展示物もございます。
きゃ~ 兜がずらり!
室町時代
戦国時代
桃山時代
江戸時代
他の時代より江戸時代は平穏だったのに、
兜の装飾はものすごく挑発的だわ・・・(笑)
様々な兜の説明など読んでいると実に面白い。
もっと勉強してみたいと思います。
初代藩主松平直政の像です。
直政の初陣である慶長19年(1614年)の大坂冬の陣にて
騎馬して戦う14歳の直政の武勇を表しております。
じゅ、14歳って・・・ 感服です。
沢山の甲冑も。
こちらの立派な輝く甲冑は・・・
江戸時代後期の松江藩筆頭家老大橋茂右衛門が
着用したものです。
表情や姿勢、足の開き方がもう現代人とは全く違う。
実に凛々しいです。
そして、最上階の望楼へ♪
宍道湖が一望できます。
何度も来ているけれど、
初めてこの天守に来たのは5歳くらいの時。
当時とちっとも変わらない空間は、ずっとずっと
このままであって欲しいと強く思います。
夏は風が吹き抜けて、とても心地が良いのです。
天下取ったどー!
と思わず叫びたくなる景観。(笑)
江戸・嘉永期の旧藩時代の城下町はこのような
感じだったそうです。
堀尾吉晴の苦心の作である柱は、
一本の肥え松の柱に板を寄せ合わせ鉄輪で締めて、
通常の柱より力学的に強いのだそうです。
他のお城では見られないという特殊な防火防腐の
桐の階段も大変趣がございますね。
ここで、ものすごくびっくりしたのが
生の松平直政が同じ階にやってきたのです。
お写真を撮らせて下さいと頼むと、
「ウム、このようなポーズでよいのか?」とか
「外は物騒じゃ、気をつけて帰られよ」などなど
この方、言い回しや身のこなしが東映の役者さん並。(笑)
お見事でしたので間違いなくタダ者ではございませんでしたよ。
お邪魔しました~と何となく無意識のうちにビビリになっていた
私は当時の町人の心境にシンクロしていたのかもしれません。笑
松江城の天守は、昭和10年国宝保存法によって国宝と
なりましたが、国宝保存法に代わる新法、昭和25年の
文化財保護法により現在は重要文化財に指定されております。
天守は旧国宝になるわけですが、これは現在の法で
旧法の国宝に相当することの重要文化財ということなので、
格下げと言う意味ではないのです。
(説明をしていてややこしいです^^;)
現在国宝を目指していると言う松江。
城郭の櫓や橋なども復元され、とても綺麗なのです。
山陰で唯一残っている美しく貴重な松江城現存天守、
間違いなく国宝級だと思います。
松江城がございます。
お堀の橋を渡り、松江城の天守へとまいります。
遊覧船がゆったりと行き来をしていて、
とても風情がございます。
途中でみつけた、大変お色の鮮やかな紫陽花。
見惚れてしまうほどの綺麗さでした。
日差しの強さを和らげる木陰の道を登っていくと・・・
鮮やかな鳥居が印象的な城山稲荷神社もございます。
小泉八雲が散歩がてら参っていたことでも有名ですよ。
そしてさらに城郭をぐんぐん歩いて・・・
天守に着きました。
日本で現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、
高さでは3番目、古さでは4番目です。
桃山時代から江戸初期の武将で松江開府の祖、
堀尾吉晴が慶長12年(1607年)にこの天守を築き、
また5年の歳月をかけて慶長16年(1611年)に
松江城を完成させました。
堀尾氏の代から京極忠高に代わり、
寛永15年(1638年)から徳川家康の孫の松平直政が
出雲松江藩の初代藩主となり、以後松平氏は明治維新まで
234年間も続いたのです。
長い江戸時代が終わり明治4年(1871年)に廃藩置県によって
松江城は廃城となり、その2年後には国より廃城令が出されたため
城郭の建物は撤去されましたが、この天守は地元の豪農や
旧藩士たちの懸命な働きによって買い戻されて、現在まで
保存されている日本の天守としては非常に貴重なのです。
再建された鉄筋コンクリートではない
江戸時代からの木造の現存天守です。
↑ここかなり重要
入母屋破風(天守の美観に重要な中央の三角形の屋根部分)
に作られた寺院式の華頭窓が粋です。
なんという格好良さなのでしょう・・・・
下見板張りという古い様式の黒い板を纏った姿は
本当に美しい・・・
天守の石垣も戦国時代に使われていた野面積みという方法で、
加工していない自然の石を積み上げた頑丈なものです。
木彫銅張りの鯱の高さは現存のものでは日本最大!
さて、中へ入ってみましょう。
立派な五層の外観ですが、中は6階になっていて
一面古き良き木造の温もりが感じられます。
天守内には、籠城時の生活に備えて飲料水が飲める
地下の井戸が唯一現存し、また石垣に登ろうとする敵を
落とす石落としなどもございます。
ちょっと暗くてお写真上手く撮れませんでした。
各階には、沢山の貴重な展示物もございます。
きゃ~ 兜がずらり!
室町時代
戦国時代
桃山時代
江戸時代
他の時代より江戸時代は平穏だったのに、
兜の装飾はものすごく挑発的だわ・・・(笑)
様々な兜の説明など読んでいると実に面白い。
もっと勉強してみたいと思います。
初代藩主松平直政の像です。
直政の初陣である慶長19年(1614年)の大坂冬の陣にて
騎馬して戦う14歳の直政の武勇を表しております。
じゅ、14歳って・・・ 感服です。
沢山の甲冑も。
こちらの立派な輝く甲冑は・・・
江戸時代後期の松江藩筆頭家老大橋茂右衛門が
着用したものです。
表情や姿勢、足の開き方がもう現代人とは全く違う。
実に凛々しいです。
そして、最上階の望楼へ♪
宍道湖が一望できます。
何度も来ているけれど、
初めてこの天守に来たのは5歳くらいの時。
当時とちっとも変わらない空間は、ずっとずっと
このままであって欲しいと強く思います。
夏は風が吹き抜けて、とても心地が良いのです。
天下取ったどー!
と思わず叫びたくなる景観。(笑)
江戸・嘉永期の旧藩時代の城下町はこのような
感じだったそうです。
堀尾吉晴の苦心の作である柱は、
一本の肥え松の柱に板を寄せ合わせ鉄輪で締めて、
通常の柱より力学的に強いのだそうです。
他のお城では見られないという特殊な防火防腐の
桐の階段も大変趣がございますね。
ここで、ものすごくびっくりしたのが
生の松平直政が同じ階にやってきたのです。
お写真を撮らせて下さいと頼むと、
「ウム、このようなポーズでよいのか?」とか
「外は物騒じゃ、気をつけて帰られよ」などなど
この方、言い回しや身のこなしが東映の役者さん並。(笑)
お見事でしたので間違いなくタダ者ではございませんでしたよ。
お邪魔しました~と何となく無意識のうちにビビリになっていた
私は当時の町人の心境にシンクロしていたのかもしれません。笑
松江城の天守は、昭和10年国宝保存法によって国宝と
なりましたが、国宝保存法に代わる新法、昭和25年の
文化財保護法により現在は重要文化財に指定されております。
天守は旧国宝になるわけですが、これは現在の法で
旧法の国宝に相当することの重要文化財ということなので、
格下げと言う意味ではないのです。
(説明をしていてややこしいです^^;)
現在国宝を目指していると言う松江。
城郭の櫓や橋なども復元され、とても綺麗なのです。
山陰で唯一残っている美しく貴重な松江城現存天守、
間違いなく国宝級だと思います。