victim of mentally deranged person

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そんなことがあるんだろうかと思うような、事件に巻き込まれた経緯や取った方法
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普通の人なら、お世辞を言います。利用しているサイトがあるなら、その利用者や運営の目に留まるなら、褒めます。

 

複数の、いろいろなサイトを利用して慣れていました。そこが一番いい、一番楽しい、知らず知らずのうちにハマってしまう、そういうことを書いていました。

 

アメブロを使いながら、アメブロの悪口を言わないものです。悪口言うなら、もっと別のところで活動したらいいと、思われるし、普通の人はなにか不都合があれば、不満を言うより、不都合を解消してくれる場所に移動します。

 

そこそこでいい点は違うのですから、いい点をうまく使えばいいし、その点を褒めるものです。

 

ところが私が、あの男に出会う以前、そのサイトを褒めていたものが残っていて、それが誤解に発展しました。他のサイトだって別の意味で楽しんで、そこの常連さんと仲良くしていたのは、目に入らなかったのか、後で気づいても犯罪をおかした後だったのか。

 

過去にそういう言葉を残しているからって、そこのサイトに一日中、寝る間も惜しんで居続けるという発想が、私には考えられませんでした。

 

そうしてその男の発言も、最初、故意にだと思いますが、嘘と言っていいぐらい誇張がいろんなところにありました。一つを褒めたら、それが最大に好きだという解釈になるように。

それでいて自分のことは謙遜は絶対にしません。できないんだと思います。他の同じ病気の人で寛解し、社会に出たという人と会いましたが、その点だけは治らないようです。

人とのつきあいで、自慢する、謙遜する、というのは、学生時代を経て見に着いているものなのに、脳の何かで壊れるようです。

 

自分のことをそのまま言うこともあります。もちろん犯罪をおかした後、犯罪しましたとは言いません。判断ができないほどになる人もいるでしょうが、あの男はこれを言っても問題がないというのは言っていました。病名は言わなかったので、他の人がその病気に対し、どういう印象や対応をするかを知っているからです。

 

敵対する、私や私と間違われた人には、自分を誇大主張していました。後で犯罪に関しても、意味がわからないほどの、そんな法解釈が通用するなら、犯罪だらけになるというようなものも、あの人らの頭の中ではそうなんです。

嘘を言っているつもりがない、自分の脳でそういう理屈が成り立っている。

親への暴力、金の無心なども、同じです。

 

普通の人同士で期待する、建前と本音の使い分けが期待できないのと同じく、下手に建前、謙遜、他の事を褒める、ということをすると、何をどう解釈されるかわかりません。こう思うと伝えることに恐怖があります。褒めたら、それも誇大解釈に繋がっています。

 

褒めるよりも、こうしなかったら、こういう恐ろしいことになる、という事実を伝えるのが効果があります。こういう、というのが、わかりづらかったら、具体例を見せるのが一番です。