「釈」とつく名は「はて?」
9月19日、日田市の咸宜園を初めて訪れて分かったこと。写真では分かりにくいが、「釋」がつく塾生がいた。写真の一番下に二名あり。教育研究センターの学芸員の方に聞いたら、これらの塾生は浄土真宗の僧侶であって、塾生の多くを占ていたとのこと。帰宅して調べてみたらこんな記事があった。https://www.city.hita.oita.jp/soshiki/kyoikucho/bunkazaihogoka/kangienkyoiku/kennkyuushourei_1/koukaikouza/15945.htm「咸宜園門下生には僧侶が多く、そのうち特に浄土真宗の僧侶が多くを占めています。彼らの多くは、咸宜園では当時の教養である漢学を中心に学び、その後、宗門の学校で教学を学びました。」なぜ、浄土真宗の僧侶が多かったのか?左記の学芸員の説明によると、浄土真宗は「妻帯が認められ、その間に生まれた子どもが特段の修行もなしにお寺を継ぐという制度があったため、咸宜園で子どもを学ばせたから。」もう一つ知ったこと。葉室麟が広瀬淡窓兄弟のこと描いた小説『霖雨』があること。早速購入し、読み始めているが、驚いたのは、それまでの二人にくわえ、新しく女性が入門を申し込みにきている場面が冒頭にある。「はて?」どうなるか