Vol.6 まっぴーさんの1分半くらいでわかる音楽史シリーズ「西洋音楽史 古典派編(後編)」
みなさん、こんにちは!まっぴーさんのマネージャーSです🎵今回の更新は、前回から引き続き、まっぴーさんのメインの動画「1分半くらいで分かる音楽史」シリーズから「西洋音楽史 古典派編(後編)」を紹介します。動画へのリンクは👇です。Twitterでご覧の方はコチラYouTubeでご覧の方はコチラお好きな方から見てもらえると嬉しいです。それでは、今回のポイントとキーワードの紹介です。今回のポイントは「ヨーロッパ全土で起こった革命」、キーワードは「ルイ16世」「マリーアントワネット」「ナポレオン」「ベートーヴェン」の4つです。ポイントをしっかり覚えて、順番に登場するキーワードにご注目ください!👀さてさて、18世紀も後半になると、栄華を誇ったフランスの絶対王政も陰りを見せます。度重なる対外戦争の戦費や、ヴェルサイユ宮殿の造営に代表される宮廷の浪費によって、国家財政は火の車でした。そのような状況の中でも、皇帝ルイ16世(Louis XVI、1754-1793)は、かつての栄華を描いた音楽を作らせるなど、芸術文化も用いながら落日の宮廷を立て直そうとします。当時のフランスでは、聖職者たちを第一身分、貴族たちを第二身分と呼んでいました。第一身分は人口の0.5%ほど、第二身分は1.5%ほどで、この2つの身分には免税の特権がありました。そのため、税を負担していたのは、もっぱら第三身分と呼ばれる市民(平民)たちでした。税収入を増やしたいときは、今まで徴収していなかった名目から新たに取り立てるのが世の常です。しかし、貴族や聖職者はこの政策に反発します。既得権益というやつですね。(笑)一方の市民も、自分たちだけ重い税金を払わされていることに反発します。こうした市民たちの怒りは、長らくヨーロッパ社会に存在した身分制度や貧富の差とも相まって「フランス革命(仏・Révolution française、英・French Revolution、1789-1799)」へと発展するのです。当時のヨーロッパ社会では、啓蒙思想が広がっていました。ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712-1778)の「社会契約説」などを根拠として聖職者や貴族を中心とした封建社会を打破し、人民の政治(人民主権)が求められたのです。(※啓蒙思想については前回の記事をご覧ください!)バスティーユ襲撃(仏・prise de la Bastille)に端を発した市民の暴動は、瞬く間に各地へ広がります。革命によって王政は廃止され、選挙によって選ばれた議会による共和制が樹立されました。その間、多くの聖職者や貴族は他国へ亡命し、同様に国外逃亡を図った皇帝ルイ16世とその王妃マリーアントワネット(マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ・ドートリシュ、Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine d'Autriche、1755-1793)も捕らえられ、処刑されてしまうのです。やがて革命はフランス国内にとどまらず、フランス革命戦争(仏・Guerres de la Révolution française、英・French Revolutionary Wars、1792-1799)となってヨーロッパ各国を巻き込みます。そこに登場したのが英雄ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821)です。ナポレオンは、産業の振興や、ナポレオン法典とも呼ばれるフランス民法典(仏・Code civil des Français)を制定するなど、革命によって混沌とした内政の整備も行います。革命を治め、皇帝に即位したナポレオンは、その絶頂期にはイギリスやスウェーデンを除くヨーロッパ全土をその支配下に置きました。ところが、連戦連勝だったナポレオン軍も徐々にその勢いは衰えていきます。ヨーロッパ諸国の紛争への介入や、極寒のロシア遠征によって消耗したナポレオン軍は、イギリスやロシアを中心とした同盟軍に敗北します。その結果、ナポレオンは皇帝から退位しパリを追われたのでした。ナポレオンの失脚後、「ウィーン会議(独・Wiener Kongress、仏・Congrès de Vienne、英・Congress of Vienna、1814-1815)」によって、ヨーロッパはフランス革命以前の王様を中心とした政治体制へと戻っていきます。しかし、大国同士の利害関係が絡み会議は長引きます。この風刺画のように「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されるほど調整は難航したのでした。その間、ナポレオンが復権に向けて行動します。この「百日天下」と呼ばれる動きは失敗に終わり、ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ島(Saint Helena)でその生涯を終えるのです。この激動の時代を生きた音楽家がルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770-1827)です。ベートーヴェンは、啓蒙思想に理念的な共感を持っていました。そのため、フランス革命やナポレオンの活躍にも肯定的だったそうです。また、ベートーヴェン作曲の交響曲第三番《英雄》は、ナポレオンを意識して作られたと言われています。一方で、この2人の逸話には不確かなものが多いとされているのも事実です。オーストリアとフランスという相対する地域で生きた2人ですから、その敬意や好意を公にするのは憚られたのかもしれません。そんなベートーヴェンによって古典派音楽の結晶である交響曲は完成されます。日本でも第5番や第9番など、ベートーヴェンの交響曲は人気ですね。ベートーヴェンは、宮廷楽師を務めた時期もありますが、その生涯のほとんどをフリーの音楽家として過ごします。貴族をはじめとする権力者のための音楽ではなく、自らの信念に従い作りたい音楽を作曲しました。このようにベートーヴェンが長い期間フリーの作曲家で居続けられたのは、彼の実力を高く評価する多くのパトロンが居たからなのです。参考文献西原稔『クラシックでわかる世界史』アルテスパブリッシング、2007年川出良枝・谷口将紀『政治学』東京大学出版、2012年ベートーヴェン『交響曲第3番変ホ長調《英雄》作品55』音楽之友社、2006年文責・まっぴーさん🎵マネージャーS(Twitter)ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55 「英雄」/ベーレンライター社/デル・マール編/中型スコアAmazon(アマゾン)2,353〜3,300円ベートーヴェン:交響曲9番Op.125「合唱」Amazon(アマゾン)125,000円