人間関係に疲れてきたので、人間関係に関する戯れ言をば。
結論から言うに、人間関係とは「損得勘定」である。
とはいえ、損得と言ってもなにも金銭物質的なものには限らない。
感情の充足、精神の安定、日々の安寧というものも立派な得と言えるだろう。
人間関係に於いて、相手から自身が何を得られるか、そして自身は相手に何を与えられるかということは消して小さくない問題である。
しかし人間関係という以上、自身も人間であり、相手も人間である。
性格も違えば当然価値観も違う。
価値観が違えば損得基準も変わるのは必定であり、自身にとっては得でも、誰かにとっては損である。
誰かの得ばかり考えていては、自身が損をするだろう。逆もまた然り。
自身の得のみを優先し他者の損を省みなければ、それはほぼ犯罪者に等しい。
よく考えてみて欲しい。
詐欺師は自身の金銭的な得のみを求め、他者から搾取し損をさせる。
暴行を働くものは自身の暴力的な衝動を満たすために拳を振るい他者を傷つける。
他の犯罪にしても、自身の得のみを優先し、他者の損に関して一切考えていない。
つまり、良好な人間関係というものは「自身にも相手にも得がある」ものでなければならない。
無論、先述した通り相手も人間である。
得しかないということはあり得ない。
人間同士の関係である以上は、摩擦は避けられぬものであり、損もまた避けることの出来ないものである。
大事なのは、「損と得のバランス」である。
自身が相手に施したことに対し相応の見返りがあるかどうか、
相手が自身に施してくれたことに対し相応の返礼をしているかどうか。
相手から自身が被る損は許容できるものかどうか、
自身が相手に押し付ける損は許容されるものであるかどうか。
ところが、ここで更なる問題が浮上する。
それは「価値観というものは可変的なもの」であることだ。
例えば一つの林檎がある。
空腹時と、満腹時では林檎一つに対しての価値は変動する。
同じく、自身或いは他者にとっての損得もまた万物流転の如く絶えず変化し続けているものである。
今日に於いて得であるものが、明日も同じ価値のある得であるとは限らない。
損もまた同じく。
結局のところ、自身と相手の忖度をしつつそこに損得勘定を当て嵌め、得が勝り損を許容範囲に収められる関係性を築いていくしかないのである。
逆に言えば、損が得を上回る相手との関係は自身に何の益ももたらさないが故に可及的速やかに関係解消すべきであろう。
自他共に損を抑え合い、得を納め合う。
是即ち、『納得』である。
了。