大切な人を自死で亡くした「私」へ



 

母親は私が20才の時に亡くなりました。



死因は溺死。

ある日の夜、誰にも言わずに家を出て

探したけれど見つからなくて

翌朝海で遺体で発見されました。



遺書もなく

本当の事は何もわからないけど

「自殺」と死亡診断書に書かれました。

 



母が何かに悩んでいるような気配や

不眠の症状を訴えていたにも関わらず

当時の私は、特に気にしていませんでした。

 

 

人間誰しも悩む事はあるし

「更年期障害じゃない?」なんて

軽口たたいたりして。

 



当時の私は

親は強い存在だと思い込んでいたんです。



人間誰しも、弱い部分がある。

そんな当たり前の事に気付くことができなかった。



 

なぜ優しい言葉をかけてあげられなかったんだろう?

なぜ手を繋いで「大好きだよ」って伝えなかったんだろう?



「ありがとう」も伝えることができずに

死なせてしまった。



あの時伝えられていたら

今でも母は生きていてくれていたのではないか?

 

 

この後悔と罪悪感で

ずっと苦しんでいました。

 

 

そして罪悪感とともに

母を責める気持ちも湧いてきました。



母のせいで、こんなに悲しくて辛い人生になった、と。

 



そう思えば思うほど

母を責めてしまう自分自身を

また責めてしまう苦のループ。



本当に辛かった。

 

 

時間が経つにつれて

表面上は笑顔で過ごせるようになってきたけれど…



何かがあるとまたすぐに気持ちが揺れて

泣いていました。



ニュースなんて最悪。

好きな芸能人の方が亡くなられたと聞くと、心がえぐられる思い…えーん


たとえ存命中は知らない人でも

亡くなった情報だけ入ってきて

心が揺さぶられる…えーん



最近はできるだけ

ニュースを見ないようにしています。




 

こんな私が罪悪感を手放すことができたのが

「みんな生まれてくる前に、自分の人生を決めて生まれてきているんだ」

という考え方です。

 

 

最初にそう思うようになったのは

「かみさまとのやくそく」という

胎内記憶や出生前記憶を持つ子供たちへ

インタビューしている映画を見た時。



前回の記事にも書かせていただきました↓




 

 

信頼する友人が

「私も胎内記憶があるよ」と話してくれたこともあり

オカルトではなく真実なのかもしれないなと、考えるようになりました。

 

 

そう考えるようになったら



ずっと母のせいにして

運命のせいにして



「不幸な星の元に生まれてきた」と

人生を悲観していたけど…



「あ、私が自分で選んだの?」と

なんだか壮大なコントをしているような気分になってきました。

 

 

そして

「母も自分の人生を選んで生まれてきたんだ」と思うと

気持ちが少しラクになりました。

 

 

私は母の事を

「あんな死に方をしてかわいそうな人」という目で見ていたけれど…

違うのかもしれない。




確かに自殺だったのかもしれないけれど

それも含めて自分が決めた人生を

生ききったのかもしれない。




 

「かわいそうな人」ではないのかもしれない。

 





でも…

頭ではそう思っても

まだ心が納得できなかった。




 

次回の記事で

心でも納得できるようになっていった話を書かせていただきます。

 


 

今、どこかで悲しみに押しつぶされそうになっている「私」に

届きますように・・・