朝日新聞のコラムでホームページリーダーについての記事を読みました。
私は以前視覚障害者のためのパソコン教室でボランティアをしており、
そこでホームページリーダーを使っていたため目に留まりました。
開発者の浅川さんがんばってますね。
当時はホームページリーダーに対応しているサイトがまだまだ少なかったので、
少なくとも企業や市町村のHPなどは対応を義務づけるべきだと思いました。
以下
朝日新聞 2011年5月23日月曜日
あの人とこんな話
ハンディを超えてIT活用へ。利便性を分け隔てなく。
日本IBM(株)IBMフェロー/工学博士浅川智恵子さん
(1985年IBM入社。2004年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。入社以来、情報アクセシビリティ実現のための研究開発に取り組む。ウエブ・アクセシビリティの研究・技術の進歩への貢献が評価され03年に米国女性技術者団体WITI(Woman Techonology International)殿堂入り。The Society of Woman Engineersから10年度SWE Achievement賞、The Anita Borg Institute for Women and Technologyから11年度Women of Vision賞、平成23年度文部科学大臣表彰(科学技術賞 開発部門)などを受賞。)
IT機器は、無いと不便を感じるほど私たちの生活に欠かせないものになった。情報を得るだけではない。買い物、交通機関の予約、様々な連絡手段など。利用比重は高くなる一方だ。浅川さんは、IT機器へのアクセスが難しい障害者や高齢者のために、自由に操作できる技術を開発している人である。その一つ(ホームページリーダー)は、視覚障害者が合成音声とキーボード操作だけでウエブにアクセスできる画期的な技術だ。(私自身も14歳で視力を失い、世の中から取り残されて行く喪失感が大きくて、それを受け入れることにとても苦しみました。でも、他の人が好きなことや得意なことで将来を目指す中で、私は私が出来ることを模索して一生仕事をしようと決めたのです)大学は英文科。英語の方が点字の習得がしやすく、また、英語を使う仕事への関心も強かった。アメリカへの1年間の留学も果たし、ここで浅川さんは解き放たれる感覚を味わったそうだ。(スポーツも文化活動も、視覚障害者への工夫がなされていて何にでも参加できました。できないことを悔しがるのではなく、できるようにすればいいと気付いたのです)帰国後、コンピューターに出会う。ツールの取得や、全体像をつかむ学習は困難を極め、抜けられない世界に迷い込んだ気がしたという。でも同時に、視覚障害者やハンディのある人にも世界が広がる新しい可能性をひしひしと感じ、浅川さんは(これは絶対に正しい)と信じて歩き続ける。(私の両親は一度も私にブレーキをかけませんでした。留学も一人で行ってらっしゃい、でしたし、コンピューターもあなたがやりたいなら、と。限界なんてないでしょ、という静かな応援が力をくれたと思います)2児の母である浅川さんも、自分の進む道、何ができるかをしっかりと考えている娘達を頼もしく思っている。闘志が湧いてくるではないか。
私は以前視覚障害者のためのパソコン教室でボランティアをしており、
そこでホームページリーダーを使っていたため目に留まりました。
開発者の浅川さんがんばってますね。
当時はホームページリーダーに対応しているサイトがまだまだ少なかったので、
少なくとも企業や市町村のHPなどは対応を義務づけるべきだと思いました。
以下
朝日新聞 2011年5月23日月曜日
あの人とこんな話
ハンディを超えてIT活用へ。利便性を分け隔てなく。
日本IBM(株)IBMフェロー/工学博士浅川智恵子さん
(1985年IBM入社。2004年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。入社以来、情報アクセシビリティ実現のための研究開発に取り組む。ウエブ・アクセシビリティの研究・技術の進歩への貢献が評価され03年に米国女性技術者団体WITI(Woman Techonology International)殿堂入り。The Society of Woman Engineersから10年度SWE Achievement賞、The Anita Borg Institute for Women and Technologyから11年度Women of Vision賞、平成23年度文部科学大臣表彰(科学技術賞 開発部門)などを受賞。)
IT機器は、無いと不便を感じるほど私たちの生活に欠かせないものになった。情報を得るだけではない。買い物、交通機関の予約、様々な連絡手段など。利用比重は高くなる一方だ。浅川さんは、IT機器へのアクセスが難しい障害者や高齢者のために、自由に操作できる技術を開発している人である。その一つ(ホームページリーダー)は、視覚障害者が合成音声とキーボード操作だけでウエブにアクセスできる画期的な技術だ。(私自身も14歳で視力を失い、世の中から取り残されて行く喪失感が大きくて、それを受け入れることにとても苦しみました。でも、他の人が好きなことや得意なことで将来を目指す中で、私は私が出来ることを模索して一生仕事をしようと決めたのです)大学は英文科。英語の方が点字の習得がしやすく、また、英語を使う仕事への関心も強かった。アメリカへの1年間の留学も果たし、ここで浅川さんは解き放たれる感覚を味わったそうだ。(スポーツも文化活動も、視覚障害者への工夫がなされていて何にでも参加できました。できないことを悔しがるのではなく、できるようにすればいいと気付いたのです)帰国後、コンピューターに出会う。ツールの取得や、全体像をつかむ学習は困難を極め、抜けられない世界に迷い込んだ気がしたという。でも同時に、視覚障害者やハンディのある人にも世界が広がる新しい可能性をひしひしと感じ、浅川さんは(これは絶対に正しい)と信じて歩き続ける。(私の両親は一度も私にブレーキをかけませんでした。留学も一人で行ってらっしゃい、でしたし、コンピューターもあなたがやりたいなら、と。限界なんてないでしょ、という静かな応援が力をくれたと思います)2児の母である浅川さんも、自分の進む道、何ができるかをしっかりと考えている娘達を頼もしく思っている。闘志が湧いてくるではないか。