久しぶりの更新となり、
今ここで書く意義は特にないんですが
わたし、ずーっと
死にたかった。
15歳の時に、
何度葬式に列席しただろう。
わたしは制服を着て
何度別れに際しただろう。
それは否応なく訪れて、
また、確執に終わりをもたらして、
ただ安らかに夢のように
唐突に許される。
で、喪失を受け止めきれないまま
わたしは成長して
否応なく変容し進み続ける。
それが嫌でたまらなかった。
わたしは15歳までにすべてのものを得て、
あとはすべて、投げ捨てるだけの人生。
なんだ、あとはすべて
投げ捨てるだけ。
結婚だ離婚だ、
育児だ介護だと守りに入ってた。
わたしが欲しかったもののすべてが、
20世紀にそこにあり
21世紀を迎えなかった。
あとは、余生だ。
生きてもいいし、死んでもいい。
頑張ってたのは
自分でないものとして生きるため。
わたしなら頑張らずに
わたしになれる。
なにもしなくても、わたしは
わたしだったはずだから。
ずいぶん深い封印だった。
ガラクタの中から
ねじまき式のわたしが叫ぶ。
忘れろ、塞いで感じるな。
おまえは20世紀に置き去りで
わたしはおまえを置いて
わたしを生きる。
二度とよみがえるな。
その大きすぎる喪失が、
感情も感性も
すべて焼き払うのは
すなわち喪失感の喪失だからだ。
わたしは喪失感とともに生きる。
たったひとつ、
21世紀へ持ち込んだ遺品。
わたしが選んだ人生
否定だけしてきた。
喪失感、
欲しくないと。
こんなものだけ連れて生きるなら、
死にたかった。
なんて豊かで鮮やかな絶望。
世が何であれ
どこか上の空で臨場感がないのは
そうねそれほどの喪失感が
どれよりも鮮やかだから。
ようやく、全貌が見えるまで
遠くへ来たものでした。
*tommy@絶望の新月