私達が、釣りをするうえで
もっとも大切にしていること。
良い文書がありましたので
引用させて頂きました。
『釣りの価値観』
釣りとは魚を釣ることであり,一般的にその評価はその数やサイズである。周りからの評価は,沢山釣る人やでかいのを釣った人,人が釣れない時に釣れる人が尊敬されることになる。
それは,結果が数字として提示されるのでベテランからビギナーまで極めてわかり安い基準であり,全国共通である。
ある意味正当な評価基準のように思える。
確かに漁を繰り返せる人は,釣技が優れているのは間違いない。そこは依存はないであろう。知識や経験がなくてはいつも大漁を手に入れることはできないからだ。名人上手はそこにある。
ところが,単発の記録だけを取り出して数字に目をやれば,そこには知識や経験は隠れてしまい,結果としての評価が目立ってしまう。釣果に自然の状況や魚の都合は加味されず,どこでどのような条件でどうやって釣ったのかはさほど関係なくなってしまい,ただ悪戯に数字の比べ合いとなってしまう。
それを持ってその釣り人が旨いか下手かということを考察するのはちと早計であるにも関わらず,それすらも論ぜられる。
一から十までお膳立てしてもらってあなたは投げて捲いただけ,それで釣れちゃった魚があなたの記録魚だったらどう思う?
今日は日並みが良くて,誰にでも労せず魚が手に入る夢のような日だったとしてもそれがあなたの実力なの?
「船頭良ければ釣果また良し」っていうのは知っている?
「いや!釣った者勝ちだ!」というならそれもよろしい。
しかし,その魚の価値はあなたが一番よく解っているはずだ。(今解らなくともいずれは解る)
魚に出会うには沢山の知識がいる。
沢山の経験も必要だ。
ところが,それを人に教えるのはとっても簡単であり,それを利用して釣果を得るのもたやすい。
ある釣り人が嘆いていた。
「10年かかってやっと編み出したことも,教えれば10分で覚える。」
密度のない出会いは,やはり薄い記憶となり,数字の羅列となってしまう。
「あなたにとって最大の魚は何センチですか?」良識あるアングラーにこんな質問をしちゃいけない。
「あなたにとってこれまでの最高の魚はなんですか?」せめてこう聞いて欲しい。
サイズを求める者も,数を求める者もきっとそんな魚は存在する。
それは,各自の想いと共に記憶されている魚であり,一生に何匹も釣れない魚であると信ずる。
皆様、良い釣りを。

V-stye メンバー一同







