前回の記事の続きです。

 

 

いまの世の中で主流になっている「個の自我を肥大化させる教え」に従い、

そうやって生きている限り、

苦しみが終わることはありません。

幸せにはなれません。

 

 

 

…って、断言しましたね?

 

 

 

ええ。しちゃうよ。断言。

 

 

 

「個の自分」を「大いなる自分」だとカンチガイして生きている限り、

苦しみは、終わらないよ。

 

 

 

「そんなはずナイ。

 桁外れの現実創造を起こしている

 ナントカさんがいるし、

 ホニャララさんだって、

 思いどおりの現実を自在に創って

 幸せを発信しているわ」

 

と言われたとしても、

それこそ「そんなはず」はなく、

必ず、上下しています。それもけっこう激しく、です。

 

うまく運んでいるときと、

まさかこの人が?と思えるような深い落下や

どん底状態やらを

しょっちゅう経験しています。

 

 

実際、発信されています。

 

 

「ここ数週間、実はひどい事態が起きていて、翻弄されていました。

意識が自分の外に向いてしまっていた。

そうなると当然、ますますおかしなことが起きる。

でもそれは、自分が中心からブレていたんです。

創造主の自分を忘れていたからだと気づきました。

その気づきたるや、過去最大と言えるほど!

そこで、宇宙ナンチャラに従い、

意識を内側に向けてソースの自分を思い出し、

中心に戻ってこられたので、実際に何があったのか

今から皆さんにシェアします!」

 

 

 

こうした発信がされると、

反響が賑わいます。

 

 

「○○さんでもブレることがあるんですね。

 親近感がわきました」

 

「今まさに私が、

 酷いことが起きていて不安でいっぱいでした。

 創造主の自分を忘れていたからなんですね。

 やっと気づけて、記事を読んで涙が出ました」

 

などなど。

共感を招く発信者さんは、

人々の好意を集めることになっていきます。

 

 

一昔前は、何らかの道を説いたり、導いたりする方たちというのは

こうした自分の「マイナス面」を表に出すことは少なかったように思います。

 

でも今は、

「ダメな自分」「すぐブレちゃう自分」「へっぽこ加減」もさらけ出してなんぼ。

それが「自分ビジネス」とやらの極意、なんでしょう?

 

 

てなわけで、

こうした導き手の方というのは、受け手からすると親しみやすく、

人気上昇!となるのです。

 

 

 

ここで、こうした「思いどおりの現実を創造して幸せに生きよう!」的な

発信ではなく、

反対側……「闇」やら「悪」やらの世界も

拒むことなくそれなりに知って来たと思う者として見てみますと、思うわけです。

 

 

「これ、このパターンを

 数週間に1回ペースくらいで

 やっていったら、

 PVうなぎ上りだな!」ニヒヒニヒヒドクロドクロドクロ

 

 

 

 

魔の手法、魔が人にとらせるやり方というのが、

スルスルすんなり分かるようになってきましたよ。

 

 

そうした人の過去の発信を

ざっとさかのぼって見てみると(ヒマか?)

実際やってる。笑

 

 

数週間~1カ月に一度くらいは、

 

「ブレていました」

「落ちていました」

「でも、戻りました!!」

 

をやって、繰り返してる。

 

 

 

 

……ええっと。

ブレすぎ……では……。

 

(ついでに言えば、過去最大レベルの気づきとかも、起き過ぎでは…)

 

 

 

ってまぁ、言ってはいけないこと

文字サイズLで言っちゃいましたけど、

 

こういうことをやっていれば、

その方の人気はどんどん上がっていくわけですね。

 

 

発信者さんは、

大勢の人たちからの「共感」「親近感」「信頼」といったエネルギーを得て拡大していくわけですが、

一方の、受け手の方たちはというと、

 

「○○さんでもブレている」

 

という安堵感に甘やかされて、

 

「私もブレたっておかしくない」

 

とでもいった、

おかしな設定が潜在意識に書き込まれます。

 

 

すると、ずっとその発信に触れているのに

ご自分は一向に進歩しない、

という結果がもたらされます。

 

にも関わらず、受け手の方は相変わらず

 

「○○さん好き」

「すごい人なのに親しみがある」

「もっと見たい」

 

といった好意のエネルギーだけは送り続けるので、

発信者の方は、それを養分にどんどん発展していきます。

 

 

これ、どこかの時点でそれこそ氣づいて(笑)

発信者にご馳走として差し上げてしまっていたご自分のエネルギー、

自分自身のために使う、ということをすればいいのにね。

 

そうしないから、発信者「だけ」がますます発展していっちゃう。

 

 

 

これは、

「魔のやり方」のキホンのキ

です。

 

 

こういう発信者の方がみんな魔に憑かれているだなんて

もちろん言わないけど、

人気って、出てくると、

こうしたやり方を「自然と」(本人は何の意識もなく)できちゃうようになっていくの。

 

 

さらに言うと、そこから、徐々に、

「ほんのちょーーっとずつ」怖れを煽る発信・発言が混じってくるようになるのですよ。

これも本人無意識のうちに。

 

パッと見はわからないレベルです。

些細な操作なんだけど、

受け手の潜在意識には、焦りや怖れが少しずつ刻まれるの。

 

「上昇した地球に行くのも、残るのも自由。

 善い悪いはない。

 どちらも学びです」

 

みたいな言い方は、わかりやすい例。

 

でもって、

「え?残るのヤダ!!教えを乞わなきゃ、ついていかなきゃ」的に、

ますます、発信者への依存が起きる。

 

ほんとに、パッと見はわかりにくくうまいことを言っているように見えがちです。

チラッチラッと怖れを創出させておきながら、一方で、

 

「私の言うことを指針にしないでね。

 みんなが神です。

 あなた自身が答えを知っています」

 

とか言ったりするんだから。

やってますよー。

よく見てみて。

 

たとえばこういうのが、やり口やメカニズムの一例です。

 

 

 

 

 

――魔の手法の解説で長くなってしまいました。

 

 

こういうものとは異なって、

非二元の在り方はいかに自然で、

くつろいでいて、

エゴイックでないか、

そちらの素敵さを話そうと思っていたのに。

 

 

「魔の手法判別師・認定協会ビジネスニヒヒでも始めようかしら。

(この、協会ビジネス的ピラミッド・バビロン手法を用いる講師たちの在り方についても、見解述べ出したら止まらなさそう。笑)

 

 

 

 

とにかく、すべては「個の自我」をいじくっているから。

 

「個の自分」は、あくまで「現れ」。

延々と「変化するもの」です。

 

 

変化するから、ブレて当然。

 

ブレッブレなのです。

もとから。

 

 

「自分軸であり続ける」なんてことがそもそも、有り得なくて不可能なの。

 

 

 

ここを、カンチガイしている。

 

 

 

「個の自我」はどんなにそれを「創造主」だの「ソース」だのと思い込もうとしたって、巷の教えがやっているのは

「個の自我」をいじくることばかり。

 

そして「個の自我」は常に変化して安定しない、ブレブレなんだから、

(幸せもあるけど)苦しみもある。

 

すると、

「何かを手にすれば」「現実創造すれば」幸せなのに

苦しみがあるのはイヤだから、

やれ中心に戻るとか、ソースにつながるとか、

画策して、いじり始める。

つまり「抵抗する」んです。

 

 

「中心に戻る」っていう

「宇宙の法則に従う」的な言い方をしているけど、

実は「抵抗」以外の何物でもない

んです。

 

 

 

これを延々やらなきゃいけないのだから、

そりゃまー苦しみが消えることなんて、

天地がひっくり返っても

あり得ないんですよ。

 

 

 

 

 

 

ところがです。

 

 

非二元の、

「ほんとうのわたし」は

ブレません。

 

 

ひとつしかない、すべてだから。

「すべて」には移動がないんだから、

ブレたくたってブレようがない。

 

すべてってことは、端っこがない。

端っこがなければ、中心もナイ。

 

「中心に戻る」なんてこと自体が、

意味不明。

だっていうこと、

それが、わかってくる。

 

「軸って何?どこに立ってるの?」ってなる。

「ひとつであり、すべて」なのだから、

「軸と、それ以外」なんて、

なくなっちゃう。

 

 

 

非二元は、いつでも、全体であり永遠であり、

穏やかで幸せ。

 

 

そこから勝手に起きてくる

ナチュラルなフローに任せているだけで、

起きることが、起きるように起きる。

 

それは、

「個の自我」をいじくって

「内側の、本音の声を聞きました!」の「つもり」でやってることなどよりずっと、

 

思いがけない閃きだったり、

コンセプトだったり、

思いがけない現れが

ナチュラルに起きるようになり、

 

要するに、

自動で進んでいけるのですよー。

 

 

真に心から「善い悪いがない」ことが

上辺の理解じゃなく

ほんとうにわかるから、

何が起きても「中心に戻る」必要なんてなくなり、

 

そういう抵抗が起きないんですよー。

 

 

 

つまり、

 

苦しみが、消える。

 

のですよよよよーーーーーー。

 

 

 

 

 

「私が!!現実を!!創る!!」

 

なんてこと、

 

一切しなくても、ね。

 

 

 

 

そこにいては苦しみが消えるはずはないのに、

苦しみの世界に生きている人たちがいる。

 

それを見ると、

 

「こっちの世界もあるよ?

 来てみたら?」

 

と言いたくなる。

(彼らは、かつての私だし)

 

 

 

そんなわけで、私は

このブログを書いていますよよよニコニコ