スピリチュアリティとノンデュアリティについて、

宇宙人や過去生の自分などいろいろ現れてメッセージを得たりするスピリチュアルと、

誰もいない、何も起きていない、ひとつしかないよというノンデュアリティ。

矛盾するようでいて、相容れないわけではないと思うと、書きました。

 

 

そんな中「現れ」のほうの私には目下、

私の中に入っているうちのある一つの存在がやたらと活性化?していて、

いろいろなことを言ってきます。

 

以前は「愛」「性愛」「男女の(男男でも女女でもよい)関係性」が

テーマのようだった存在が、

最近は、地球のこととか、人類のこととか。

 

地球・人類の意識の上昇、いわゆるアセンションについて、

あってもなくてもよいと思っている旨もひとつ前に書きました。

 

●「2020年にゲートが閉じる」とノンデュアリティ

 

「個人としての私」は本当にそう思っているのですが、

中からはいろいろ言ってくる。

 

 

この存在からの情報は、言葉や文章より

映像や静止画のビジョンに概念や感覚を加えたもの

として受け取ることが多いです。

 

今日は、画像や簡単なチャート入りのパワポみたいなものでした。

スライドでプレゼン見ながら、抽象概念や感覚を受け取る、感じ。

 

言葉にするなら、

 

ある学校の、

ある学年のあるクラスが、

学年全体の中で、最近、どうもできが悪い。成績がよろしくない。

となったときに、

クラスの中の、それでもまだ出来のよいものだけを抽出し、

グループにして、

どこかよそへ連れて行って、よくなる教育 を施す。

 

 

これを見ながら受け取り、起きた感覚は、

「なるほどそうね。これを今やろうとしているのね」。

 

受け取った概念というのは、

「これが今起きていますよ」の共有でも、

「このように進めなさい」でもなくて、

 

「これで本当にいいですか?」

 

 

 

ここで、「クラス」を「地球や人類や私たち」などに、

よい悪いの「出来」というのを「波動や周波数」に

置き換えてみると、

 

ある宇宙の、地球という星やその住人たちが、

最近、どうもできが悪い。波動が下がってよろしくない。

となったときに、人々の中の、

それでもまだ出来のよいものだけが次元上昇して、

どこかよそへ進んで行く。

 

 

 

 

「これで本当にいいですか?」

 

 

 

周波数が高い人や地球が上昇します。低いほうも残りますが、闇の世界です。

 

というのが意識の上昇の通説になっている昨今、

「それではうまくいかなかった」とずいぶん前に言ってきたのは、

地球にくる前の星にいた私です。

 

スライドの存在が来るよりもっと前。

アセンションの言葉や概念を知らない2010年、

地球以前の記憶を取り戻したときに言われた一部。

 

愛と平和を絵に描いたようなその星の、見えない反転の世界(?)には、

過去に置き去りにしたことによる、闇だけの星が実はできてしまった。

見えなくても結局、縁は切れていないのだと。

 

 

その後、知識がつき、

自分は本来到底知らないことを見聞きするようになっていること、

よく似た情報を受け取る人がほかにもいたりすることを知り、

果たして本当に「それら」を受け取ることが現れているのか、

それとも、何らかの集合意識的なイメージがたまたま現れているのか、

ナゾは尽きないわけですが、

とにかく今言われている、

「高いほうだけ上昇し、低いほうは残る(置いて行く)」という【以外の説】には

あまり出会いません。

 

会議室が、違うような氣もしたり。

だったら、こっちの会議のメンバーにもっと会いたいです。

その会議のほうで

「できの悪い○○ちゃんたちは置いて行くよ」ではない在り方が練られて

上昇でも下降でもいいけれど

全体であり優劣分離なく在れる、のがよいと思っています。

 

 

 

何かを置いて、進むほうだけ前に進むというのはニュートン力学。運動の第三法則。

(以下ネタバレあり)

 

映画「インターステラー」で、

推進力となるべく「置いて行かれた」主人公クーパーは、文字どおり闇の中に落ちていきますが、地球を助けることになったのは残された側のクーパーと、同じくロボットのターズです。

 

置いていくことになった2人に対して、

善悪(波動の高い・低い)が問われることなどそもそもなかったストーリー。

敢えて言ったら、答えは明白に「善」でしょう。「進んでよし」の側のはず。

 

また、

もともと「置いて行く側がある前提」で策定された「プランB」は成立せず、プランBを推進していたブランド教授とマン博士は死んでしまうというこれは、「ダメ出し」ではないのかしら……笑

 

プランBも、置き去りにされ見捨てられる地球人たち、

実は波動が低かったってこと?

だから見捨てて良し、だった?

 

物語の途中で終わるこの映画で、

最終的に新天地(上昇した地球ってこと)を創るため

主人公が乗り込んだのは、反重力推進の宇宙船。

ニュートン力学を脱した技術によるものでした。

(ネタバレここまで)

 

 

人や意識の波動やらの高低優劣を問う意識、

高い一方だけ進む意識、

他方は置いていくのもやむなしとする意識、

 

これが、上昇に値する「高い周波数の」意識というものなのか、

ほんとうにわかりません。

高い・低いの判断基準、人間が思ってるそれ、

そもそも合っているんだっけ?というのも。

 

低い波動やネガティブは、スキューバの重りのようなもので、

上昇するには脱ぎ捨てることが必要ですというのは、

ニュートン力学。

 

プレアデスの私が言ったことばかりでなく、

アトランティスもレムリアも、この手の例がダメなら

歴史に実在した(たぶんね)

古代ギリシャもローマもバビロン王国も、

この同じ意識・やり方で失敗してきたんじゃ…

(うまく行ったかに見えた方舟も、その行く末の今の地球「波動低い」から置いていくの…)

 

 

 

 

「もう、新しい価値観が必要な時代です」だったよね!

 

じゃあ、具体的にはどうすれば?

 

教えてもらおうとすると答えてくれない、私の中の存在です(笑)

ハトホルって言うんですけれど。

 

 

 

「進むためには旧きを手放せ」。

心底そのとおりとも思うのです。

 

それはそれで持ちながら、

実はもう知っているのかもしれない。私たちは。

それこそ次元の異なる考え方や価値観を。

思い出せたらよいのですが。

 

意識の上昇、あってもなくてもいいけど。

進む人も留まる人も、本当はいないけど。

 

「違う会議」はどこの会議室でやっているやら。

(その場所がわからないのは「私の波動が低いから」というオチもまたよし)

新しい在り方に、希望を見たいなあと思うのです。