民主主義
新内閣が発足して日が浅いのに、早くも田中防衛相の資質のお粗末さが見えてきた。田中直樹を防衛相に任命した野田総理は、右目を眼帯で覆っている。己の眼力の不足を恥じたわけでもあるまいが、奇妙なタイミングである。両眼を使ってもなお、眼力不足を否めないのに、片眼で大丈夫か。国民の声に耳を傾けるには目は一つで十分と言うのか。そうではあるまい。声なき声を知るにはやはり目が必要である。今は、独眼竜政宗の時代ではなく、国民の声なき声にも注意を払わなければならない民主主義の時代である。
民主主義がうまく機能するかどうか、それを支える国民の政治意識によって決まる。民主主義の歴史は古い。古くなれば、腐敗もする。そのひとつの例が民主主義の元祖とでもいうべきギリシアの財政破綻である。公務員天国を作り上げて、国民が国家を食いつぶしたのであるからあきれてしまう。ヤミ経済が蔓延するイタリアもそれに近い。何ということか、片やギリシア文明、片やローマ文明とその栄華を誇った文明の地である。
日本がまだ元気であったころ、欧米の市場に近い所に生産拠点を増やしていた時代があった。その時、欧州各国は駐日大使館まで動員して企業誘致に励んでいた。日本にとっては、まさに買手市場である。どこにしようか、と選択肢の多さに頭を悩ましていた。当時の英国の子会社の会長であった元国鉄総裁のピーター・パーカーがアドバイスしてくれた。彼は、欧州の国ならどこでも大差ないが、市民革命を経験した国がよい、と言う。
この言葉の意味の重さを知ったのは、最近のことである。ECの中で、市民革命を経験したことのない国が、軒並み財政破綻の危機に陥っている。市民革命を経験した国では、国民の政治意識が高く、国家が安定していると言える。政治意識の高い国民はむやみやたらに国家に甘えることはないようである。
イギリスもフランスもドイツも17世紀から19世紀にかけて市民革命を経験している。この中でドイツは最も遅れて市民革命を経験している。そのドイツは市民革命では後進国で、民主主義も未熟であったためさんざん苦労している。
ホーエンツォレルン家の暴走を止めることができず、第一世界大戦を引き起こしてしまった。さらに、敗戦後、国民の未熟さはワイマール共和国を誕生させ、ヒットラーの台頭を許してしまった。第二次世界大戦で敗北した結果、東西二つのドイツに引き裂かれた。自由主義陣営に与した西ドイツが民主国家としての軌道に乗り、経済発展を遂げた。一方の東ドイツはソ連の支配下におかれ、民主主義とは縁のない国家になってしまった。そして、崩壊した東ドイツを西ドイツが平和裡に吸収して今日に至っている。
苦労の甲斐があり、今となってはドイツがECの中でももっともまともなようである。フランス国債までが切り下げられた中で、切り下げを免れた数少ない国である。過去の苦労によって民主主義の修正をおこなっていたのであろう。
こんなことを考えていた時、イタリアで、豪華客船が座礁し、横転する事故があった。驚くことに、Francesso Schettino船長は乗客を尻目に避難したという。これが本当ならば、海の男の風上に置けぬあきれた船長である。彼は、名前から判断すれば、イタリア人ではないか、と思う。彼には船長としての自覚も責任感も感じられない。でも、中身が空っぽのマカロニ野郎では仕方ないのかもしれない。
ドイツ、イタリアと来れば、日独伊三国同盟ではないが、日本のことも気になる。日本には市民革命と言われるものがあったのか。明治維新派はたして市民革命と言えるのか。おそらく、あれは市民革命ではあるまい。そうすると、日本人の政治意識は未熟であるといわざるを得ない。
2012-1-17