darksideから

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決して褒められる様な生き方をしてこなかった者が辿り着いた

愛と癒しの世界

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人には信じたこと、イメージしたことを実現する力がある。


深い催眠状態の人間に焼きごてを当てるイメージをさせると

実際に皮膚には火傷ができるというのは結構有名な話だとおもう。


他にも実際にはなんの効果もない錠剤を、よく効く薬だと聞かされて飲むと効果が得られるなど。

イメージ(妄想や想像)をするだけでガン細胞を消滅させた例すらもある。


よくも悪くも信じたことは少なからず人体や精神に影響を及ぼす。

出来ると信じていればなんでも出来る、などと簡単なことは言えないが

少なくとも「出来ない」と思っているよりは良いのは確実だろう。


しかし自分の力を信じる、自分自身を信じるというのはなかなか難しい。

だから自分は逆の発想をしてみた。


奇跡を超えた奇跡の確立で存在している人間。

ほとんどが解明されていない脳。

規模を広げれば、地球や宇宙などなど謎だらけだ。


そんな中今知っている能力が全て、という確立より

知らない未知の能力がある、確立のほうが遥かに高く感じた。


宇宙に存在する物質、エネルギーはその90%以上が

今の人類では観測不可能と言われている。

それは地球、人間にも言えることなのではないだろうか。


我等人間にもそういった不思議な力があるのは上に書いたように事実なのだ。

実は某大学で心理学を学んでいたのですが

本当は哲学部に行きたかったんです。


なぜか同じ大学の哲学部が落ち、偏差値が20も高い心理学部に受かってしまい・・・


というわけで心理学、哲学、それに興味があり独学で学んだ宇宙科学

それに自分の事を交えて書いて行こうと思う。



大学で心理学を学び一番思い知ったことはやはり人がもつ未知なる力。

信じる力、イメージする力、創造する力

言い換えれば全てプラシーボとも言えるものなのかな。


ある人はよく言っていた

「世界はおまえの小さい脳みそで理解できるほど、小さくはない」


確かにそうなのかもしれない。


けれど若干スピリチュアルな世界で生きてる自分にとって

人は人が今認識出来ている能力以上に、大きな存在だと思い知らされる。

それは科学として、学問としての心理学を学び更に深まった。



人は常識やモラルやルールに縛られる。

自分が自ら考え答えを出したものでなくても

常識で否なものは、その多くを否と考えてしまう。


常識とは時代で変化するもので

その時代の多数の人がそう思っている、ということなのだ。


少々大袈裟かも知れないが殺人がいい例だ。

人を多く殺して英雄になれる時代もあったが、今じゃ死刑の殺人鬼だ。


なにが正しくてなにが間違っているかなんてものは

良くも悪くも自分の頭でちゃんと考えて出した答えでなくては

たいして意味も持たないのではないだろうか。

その答えはアイデンティティの更なる確立にもつながる。


人は考えなくなったらただの猿、満足したらただの豚




少し話しが逸れてしまったがつまり

脳のことだけでいえば、そのほとんどが科学によって解明されていない。

つまり裏を返せば、今の所人間の能力の限界すらわかっていないということだ。


今出来ることが全てではない。限界でもない。常識もない。

大事なのは自分を信じること。


馬鹿げているかもしれないが、人が空を飛べないと証明できるのは

人の全てが科学的に解明されてからだ。


次は信じる力というのについて書いてみようと思う。



宇宙に地球が出来て、知能を持った人類が今こうして在る確立・・・

体育館に一台のPCを置く。そこに1匹のねずみを放つ。

そのねずみがたまたまキーボードの上を歩き

たまたまシェイクスピアの長編悲劇「リア王」を一言一句間違えず書き上げるほどの

超天文学的確立だそうです。


奇跡と呼ばれることが陳腐に感じるほどの奇跡で生きている日々を

当然と思って過ごしてしまっている我等人間。


平穏な上に特定の信仰を持たない人種の多い私たちは特に

生きている意味、明日があることの意味を見失い易い。


それを皆が見つけられたらな、と想う。