今日の講座のテーマ
「よりそうこころ」
11日に10ヶ月の半野良猫ちゃんが私の元から旅立ちました。
昨夜の夏、捨てられ我が家の座の下に住みついて、やがて私の部屋に入って来て、私の癒しになりました。
半野良なので、外で生活して私の部屋で寝る子猫。
野良猫同志のケンカも絶えず、しばしば流血して帰って来ました。
4月の終わり、体調を崩したので診察を受けると、「エイズ」「白血病」二つの病気に!
一つでも大変なのに、二つとは…
致命的です。
野良猫にありがちなことだそうです。
診察を受けた時には、後持って2、3日でしょう。
家で看取ってあげてください。と…
そう言われていた子猫ちゃんは、50日も頑張って生きて、11日の朝眠るように行きました。
亡くなる前日、「あさひ」と名付けました。
母の為に「あさひ」の写真を送っていただき、キーワードを言う事で、母も穏やかに過ごせるアイテム。
その「あさひ」から、名前をいただきました。
子猫ちゃんは、エイズの症状でペーパースキンになって骨と皮になり、擦ったところが裂けて血が出ても、「あさひ」と呟くと、一つも苦しくないようでした。
2週間前には食べ物が入らず、1週間前には水すら飲めない。
ですが、最後の最後まで穏やかでした。
亡くなるその前に、もう逝くんだなとわかった瞬間に「ありがとう、幸せだった?充分に頑張ったね。お疲れ様。ゆっくりゆっくり休んでね。」
そう痩せ細った身体、頭を摩りながら、嗚咽をあげて泣きました。
「幸せだったよ。泣かないでね。僕は本当に幸せだったよ。もう逝くね。ありがとう。」
そう言って、「あさひ」は旅立ちました。
そして、火葬を済ませ、今日の講座を迎えました。
冒頭、先生から「猫ちゃんは?」との問いからスタートしました。
ずっと話を聞きながら、先生も「あさひ」の体感をされて、「とても穏やかで、安らかです。安心している感じ。」「本当に気持ちよくなっていく。眠る感じ…」
本当にそうなんです。
普通なら痛くてもがくところ、一度も苦しがらず、最後まで安らかでした。
話をすると、その時のものとアクセスします。
そして、「あさひ」が亡くなった日から、、、
犬のチロ君も、特に先住猫の「ココちゃん」も、本当にいい子です。
「あさひ」が私の部屋に来てからというもの、「ココちゃん」は遠慮してか?ずっと息子の部屋にいて、息子が家に居る日は息子の側にいました。
しかし「あさひ」が亡くなった日から、息子が家に居ても、「あれ?お兄ちゃん、家にいるよ。行かないの?」連れて行っても直ぐに戻って来て、そっと座っていたり、眠っていたり…
私の側を離れません。
先生もこの子たちを体感されると、「神妙な感じ、何かを感じてる。」「自然によりそうってこういう感じ。
頭で考える何かではなく、ただそこにいるだけの穏やかさ。自然によりそうってこういう事です。」と。
動物には人間のような、損得感情はありません。
飼い主との無条件の信頼、愛情でしかありません。
私の変化を感じとり、今は私に「よりそう」
そう感じて穏やかに側にいるのだそうです。
「あさひ」との出会いは、私に「よりそう」事を教えに来てくれたのかもしれません。
友人達は、私がペットロスになり落ち込んでないか?心配してくれました。
ですが、「あさひ」との10ヶ月と、病気をしてからの生活、精一杯の出来る事をして迎えた最後の日でしたから、別れの時こそ大泣きしましたが、引きずる事はありません。
むしろ、今日も体感してとても穏やかに過ごし、とても穏やかに最後を迎えたので、清々しい感じです。
RAUSを学んでいればこそ出来る「体感」と「確認」です。本当にありがたいです。
私が「あさひ」によりそい、チロ君とココちゃんが私によりそう。
「よりそう」
って、どうする事だと思いますか?
今までの私も、仕事で、親の介護で、様々に「よりそう」よりそって来たと思っていました。
しかし、本当に「よりそっていたでしょうか?」
親が子供を思う心。無条件の愛情です。
見返りなど考えもしない、ひたすらに愛ですね。
相手にどう思われるとか考えないですね。
他人にはどうでしょう?
こうしてあげた方が良いかな?
こうしてあげたのに…
何処かに、損得感情、利害関係がないでしょうか?
親が子供を思うのと同じでしょうか?
こうすると、こう言われる、こう思われたら困るから、何がしか考えてはいないでしょうか?
親切の押売りをしていないでしょうか?
こうする事があなたの為だから…
良かれと思って…
その全てを突き詰めて探って行くと、自分の為ではないか?
そこには、「気持ち」があったでしょうか?
ただやっただけの「行為」ではなかったでしょうか?
相手を心底思いやる気持ち。
相手にいかに満足してもらうか?
普通ではそこのところ、難しい。
だから人付き合いが難しいと考えますね。
RAUSを学んでいると、今言う時か?
相手の為になるか?ならないか?
言うタイミングはいつか?
相手の心を「体感」し、「確認」します。
これが身について素早くわかるようになれば、素晴らしいですね。
最初は「ゆだねる」からです。
いい?悪い?
確認をします。
その繰り返しで、身について身につけていきます。
先日のブログでも紹介したお話、私が本当に心底後悔した事を話しました。
つい聞かれて答えた事、そのやりとりを終えて、帰り道のなんとも気持ち悪い感情。
「あー、私。間違えてる!」「それではダメでしょう。それでは以前と同じでしょう。」
それは、対話の中で「確認」していないから。
会話としては普通の会話でも、心のあり方を確認しないと、無責任な言葉の発信は言葉が人から人へとどんどん違う話しになって、最終的に自分に返って来ます。
そこに至るまでには自分以外の被害者が出るのです。
如何に慎重に言葉を使うか。
とても大切な事です。
また、母の居る施設での出来事。対応する看護師さんの発言。対応。
この看護師さんは、自分に合わせようと言動がある。
押し付けている。
では、自分はどうか?
自分にはそう言うところがないか?
確認です。
施設を変わるかどうか?
これは「変わる」と出ています。
最近の出来事の一つ一つを聞きながら、
先生から、「今は善悪を見せられていますね。」と…
正しいかどうか確認しなさい。
間違ってないけど、言うタイミングが今か?
周りは反面教師で出てくる。鏡です。
今起きてる出来事から何を学ぶか?
気づくのか?
同じ課題でもこれからは分かりにくい物も出てくる。
表面を見ていてはわからない。内面を見る。
うまく行く人、行かない人。
その心は?
相手が感じるもの。自分はどうか?
相手が何を望んでいるか?
猫ちゃんのよりそう心からスタートして、仕事、母の事、施設の職員さん、最近の出来事へと、続く。
その一つ一つがバラバラでなく、点と点が線になり、面になり、多面体になり、球体になる。
全てが、まるとなる。
なるほど!
全て繋がっているんです。
心のあり方一つです。
過去の理不尽な事も、理不尽で悔しかった。で、終わるのか、そこから何を学ぶのか!
それこそ、良かれと思ってした事が、果たして相手にとってよかったのか?
見返りを求めていなかったか?
押し付けではなかったか?
言うタイミングが違うのでは?
色々あった事も全てを、その時に戻って一つ一つを確認して、真に相手によりそう心に立った時に、自ずと結果は変わってきます。
それこそ、馬鹿馬鹿しいな、なんで腹を立てていたんだろ?って、かなりな間違いをして来た。
自分が感じた事が、そこではない事がわかります。
小さな小さな島で、地球の不平不満をブチまけて、宇宙の果てしない空間へブチまけて、全て自分に槍だの何だの降りかかるイメージでしょうか?
こんなの痛くてたまらない。
馬鹿馬鹿しくてたまらない。
今日のテーマは終始、「よりそう」がテーマとなりました。
如何に相手によりそうか?
全てを我が子の如くに、無条件の愛で寄り添えば、自分も周りも平穏に過ごしていけます。
「体感」「確認」「体感」
その繰り返し。
益々、沢山の課題が出てきますが、一見して「なんて大変な事が重なっているの?」って思うような事があっても、実は大きく成長するチャンスだったのだと、後でわかるのです。
心一つ、心一つのあり方です。