通奏低音の試験を受けた(30/30) | 水の都で古楽修行♪ヴェルヴェッティーノのVenezia見聞録

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2016年よりイタリア留学中。国立音楽院の古楽科でバロック声楽を専攻しています。
日々勉強中なので、過去記事と最近の記事では発声について見解が異なる時がありますが、最新の記事が現在の発声です。
世界遺産の島ヴェネツィア在住。

音楽院は前期が終わって試験シーズンです。

でも結構普通に授業ある・・・

 

今回は通奏低音の試験を受けました。

通奏低音は1年次、2年次の必修で、1年次は試験がなく平常点。

2年次のみ試験。

どんな試験をするかというと・・・

これが先生によって微妙に違う。

通奏低音は古楽科の全員が必修で、しかも個人レッスンなので、担当教官が複数いる。

私が教わった教授の考え方は、

「数字付き低音譜を見て即興する能力は、チェンバロ奏者やオルガン奏者には必要かもしれないが、ほかの楽器や歌手には必要ない。理論が分かっていれば十分」

というもの。

だから試験は、与えられた数字付き低音に2声の旋律を書いてくるというもの。

 

でも私は、自分から志願して弾く課題を加えてもらった。

なぜそんなことをしたかというと・・・

数か月前、チェンバロのレッスン中に、

「あなたたちは通奏低音のレッスンで弾かないみたいだけど、本当は通奏低音というのは数字を見て即興でリアライズするものなのよ」

とチェンバロの先生に言われたのだ。

彼女はチェンバロやオルガンの学生の通奏低音も担当している。

だが私の担当教授は、私には授業で弾く課題を課していて、通奏低音の練習に歌より時間をさいていた(→去年の記事一番時間をかけている科目は・・・参照)。

だが彼も、そもそも鍵盤楽器が弾けない学生には、弾く課題を課していなかったらしい。

まあとにかく、毎日毎日通奏低音の練習に時間を取られていたので、

「いえいえ、S先生のレッスンでは2種類のトレーニングをしているんです。

一つはバスに上声を作曲してくることだけど、もう一つは弾く課題です」

と言った。

「あら、あなたは弾いてたのね」

と言われたけど。

 

このチェンバロの先生が通底試験の審査員の一人だったのだ(各科目の試験はいつも担当教官以外に2人の教授が審査する。卒業試験は計5人で審査)。

こう言ってしまった以上、ちゃんと弾いているところを見せたい!というわけで、自分の通底担当のS先生にわけを話し、

「A先生の前で弾きたいんです。弾く課題もさせて下さい」

とお願いしたわけだ。

 

それで作曲課題と弾く課題の両方をこなした。

 

結果は30点満点中30点。

やったー!

 

ちなみに作曲課題というのはこんな感じです。

↑これが与えられる数字付き低音の楽譜。

ヘンデルが作った何かの曲から抜粋したもの。

振られた数字はこの本の著者(R. O. Morris)が、もとの曲を見ながら振ったもので、ヘンデルが振ったものではない(一部分はもともと振ってあると予想)。

 

そこに2声の旋律をつける↓(3段目は和声。実際は演奏しない)

こんな感じ。折角作ったから披露(笑)

いい曲なのでぜひ演奏してほしいーーー

 

この曲は自分でも気に入っていて、先生も、

「いいね!ヘンデルもきみの才能に嫉妬するよ!」

とベタ褒めして下さった。

いやいや嫉妬なんてやめて下さいよ、ヘンデル氏は我が敬愛する師匠。彼のバッソに自分が旋律をつけられるなんて有難き幸せ!!

 

ちなみに教科書はこれ↓ イタリア語ではなく英語。

 

日本にいたころは、

「私は弾くのが得意なところをA先生に見せたいから、弾く試験もしたい!」

なんて先生に伝えなかったと思う。

こいつ、ちょっとできるからいい気になって・・・と思われたらいやだから。

でもこちらでは、自分が得意なことをアピールするのは自然なこと。

相手が何も思う前から”こう思われるかも知れないからやめておこう”みたいな変な気の回し方は必要ない。

と言っても北イタリア人が気を遣わないかというとそうではなくて、関東人とはポイントが違うというだけ。

イタリア語でコミュニケーションを取っていると、日本語だったら言わないことを自然に言うようになる。

記憶はつながっているから多重人格じゃないけど、別の人格が表れたような現象でとても興味深い。