当たり前のことを話したいと思います。

性的少数者についてです。


僕たちは、自分の意思では生まれ落ちません。
学校で
競走で一番になった精子が卵子と受精して僕らが出来上がっていく
と、教えられました。
だからみんな一番なんだと。


エコーないしは母体から出た瞬間、女性器があれば女の子であり、男性器があれば男の子になります。これも、自分で選ぶことはできません。

しかし心は自分で選べてしまうのです。

たとえ幼いころからスカートを履いていても、幼いころからミニカーのおもちゃを与えられていても、心は動かせない。


いまの生活に満足している人にはわからない話だと思います。
そしてそれはほとんどの人たちが現実を足し引きしながらやりくり出来ており、だから生活に違和感を感じる人が「性的少数者」というレッテルを貼られるのだと思います。



なぜ、女の子といわれたら男性的な一人称を使えないのですか?
なぜ、男性の興味を引くために着飾るのが普通なのですか?
なぜ、そうではなく自分自身のために生きると仲間はずれなのですか?
なぜ、仲間はずれは悲しいことなのですか?
なぜ、男の子は制服に襟足がついてはいけないのですか?
なぜ、男の子は髪を縛ってはいけないのですか?
なぜ、昔は許されたのに大きくなると許されないのですか?
それは、都合が良すぎませんか。

僕は自分の部屋に一人で居るより、教室で一人で居るほうが苦しいと感じます。




僕には、乳房と女性器と子宮があります。

レインボーというのは、七色ではありません。
紫でも赤みが強かったり青に近かったりします。

僕は、僕の人生しか生きたことがないからわかんないけど。

男性と手を繋いで歩くことに違和感を感じるし
この女の子とキスをしたいと考えることもあります。
これは妄想ではなく
実際に握りしめた手に嫌悪しトラウマになり、実際にキスを忘れられないでいるからです。

これが、

男性が男性と手を握ったという違和感、すなわち自分の性を男性と認識している、だから女の子を性的対象として見ている(体がレズビアン、心がストレート)のか、
女性として男性を嫌悪する気持ちがあり、だから女の子を性的対象として見ている(体と心のどちらもレズビアン)のか、

じゃあ、今まで男性を好きになった自分はなんだったのか?



僕は、Qであると、宣言したいとおもいます。

そしてこれが僕の日常であり、当たり前のことです。



『カミングアウト』という映画を観ました。

いつか僕も、できたらいいと思います。
怖いけど。




明日もみんなに優しい幸せが降りますように。
では