無性に生きることをやめたくなる時がある。

 

「死にたい」ではなく「生きていたくない」

 

漠然とした不安に押しつぶされそうになる、感情の波にのまれて動けなくなる。
今生きていることに苦しさを感じて、苦しさから逃れたくて「生きる」という行動をやめたくなる。

 

こういうのは自殺願望ではなく、希死念慮というらしい。
縁遠い人からしたら大した違いなんか無いように思うだろう。

 

でもこの感覚の違いは無視しちゃいけないと自分は思う。

 

自分の解釈としては、
①「生きることをやめたい」というのが目的
②目的達成のための手段を考える
③目的を達成できる手段が「死ぬこと」以外に分からない
④目的は『「生きる」をやめること』であって、「死ぬ」は『手段』でしかない
となる。

 

自ら死を選択するということは確かにお世辞にも褒められたことではないと思う。
人によっては「生きたくても生きられない人だっている」というかもしれない。
それも間違いじゃないし、自分がその立場だったらそう思っていたかもしれない。
でも、「生きていることが苦しい人の苦しみはどうしたらいいの?」
自分は体験したことがないけど、
「延命治療をすることで苦しませていないだろうか」、「できるだけ長く生きていてほしい、離れたくないと思うのはエゴなんだろうか」
それっぽいフレーズは聞いたことがあるんじゃなかろうか。
自分がそれを言われる立場になる頃には、もう自分で喋ることはおろか意思表示すらできなくなっていることがほとんどだろうけど。
実際には苦しみながらその生涯を終えた命もあったと思う。
もちろん死んでみないと分からないから憶測でしかないけど。
だったら『「生きる」をやめる』ことで救われる存在が居ていいと思う。
「死は救済」だとか、犯罪を正当化する気はさらさら無いけど。
だってそこに本人の意思は微塵も反映されていないから。

 

どっちが間違いとかないし、どっちも持っててもいいモノだと思う。

 

まぁ自分は、「生きる」のが辛くて苦しいから
せめて「死ぬ」くらいは一切の苦しみがないものであってほしいと思ってるから、
一生実行に移すことなんかできないと思うけど…

 

自分がメンタルが極限まで下がると自暴自棄になりがちで
そういう思考になりがちだ。
でもメンタルが下がることで表面化しやすいだけで、
元来「自分の死」に興味は持っていたから、
備わってるものなんだろう。

 

他の人は、自分のことだけに限らず「死ぬこと」についてどう考えてるんだろう。

 

「生きることをやめたい」と思ってるのに、
「自分が死んだときに少しでも悲しんでくれる人が居るなら、生きてた価値はあったのかな」なんて都合が良いことも考える愚者。

 

笑えなくたっていい。
ただ終わるときに一切の苦しみも痛みもないのであれば。
もっとも贅沢な望みと思いつつ、願わずにはいられない愚かな願いが叶うことを夢見て。