「エリー・クラインの収穫」ミッチェル・スミス (新潮社)
何ともあっけない幕切れであった。ニューヨーク市警の食み出し集団に所属する主人公の女性刑事と相棒の男性刑事は高級娼婦が殺された事件の捜査が任されるが,食み出し集団に属する刑事に続いて相棒の男性刑事も謎の男達に殺される。失意の中,主人公は殺された高級娼婦が娘に宛てた手紙に書かれた言葉をヒントに真犯人を突き止めるが,主人公にまで刑事2人を殺した謎の男の魔の手が伸びるという警察小説である。650頁という頁数の中に本筋とは関係のないエピソード的な部分が多数挟み込まれていて登場人物を把握するのにしんどい面があったものの,全体としてはなかなかよくできた物語で楽しめた。

「男たちの大リーグ」デヴィッド・ハルバースタム (JICC出版)
1949年のアメリカン・リーグのチャンピオンシップをめぐるニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスの闘いを,著者が当時のプレイヤーにインタビューして得た証言を基に再構成したノンフィクションである。当時のヤンキースにはジョー・ディマジオが,レッドソックスにはテッド・ウィリアムズが在籍しており,両チームの対戦はアメリカンリーグの好カードで,特に1949年のシリーズは好ゲームが戦われたということである。ハルバースタムの文章を読んでいると,まさに自分がニューヨークのヤンキー・スタジアムあるいはボストンのフェンウェー・パークで野球を観戦しているような気分にさせてくれる。日本のちまちました野球とは全くといってよいほど異質な,肉体と肉体のぶつかり合うスポーツとしてのメジャーリーグの,最も素晴らしい時代にプレイした選手たちの物語は感動的である。しかし,原書のタイトルである「Summer of '49」を「男たちの大リーグ」と訳したセンスは最悪である。

「無法の二人」ユージン・イジー (早川書房)
作品毎に主人公は違ってもイジーのクライムノベルはシリーズ物に近く,処女作の「友はもういない」未訳の「The Eighth Victim」,本書である「無法の二人」そして「地上90階の強奪」と,シカゴのマフィアの変遷を軸に暗黒街の男達の世界を描いている。本作品はマフィア壊滅を狙う囮捜査官と,彼に復讐することだけしか頭にない強盗の,マフィアのアンダーボスを巻き込んでの対決の物語である。脇役も含めて登場人物もなかなか個性的でよかったが,今まで読んだイジーの他の作品と比べるとできが少々落ちる。

「遥かなるセントラルパーク」トム・マクナブ (文藝春秋)
大恐慌に喘ぐアメリカで賞金総額36万ドルを賭けてのマラソンレースが開催されるが,距離はロサンゼルスからニューヨークまでの5千キロという途方もないものであった。参加者は盛りを過ぎたプロのランナー,失業中の英国の職工,村の期待を一身に担うメキシコの農夫,元オリンピック選手である英国の貴族,踊り子のアメリカ女性を含む3千人で,果たしてニューヨークには何人のランナーがゴールできるのか,また,優勝者は誰なのか。本書を読んでいるとキングの「死のロングウォーク」が思い出されたが,マクナブは正統的小説作法にのっとってレースの緊迫感を描くと共に,ウルトラマラソンそのものが成立する基盤を揺るがす事件を次々と設定し,ユニークかつユーモア溢れた解決方法で読者を楽しませてくれる。

「人はなぜゲームするのか」藤井雅実+澤野雅樹 (洋泉社)
子ども時代はゲーム好きではなかった。それが,AppleⅡのゲームソフトである「ウィザードリー」に出会ってからコンピュータゲームにのめり込んだ。以後,ハードとしてはX68K,ファミコン,PCエンジン,メガドライブ,スーパーファミコンを購入し,ソフトも百本近く所有するまでになった。「ウィザードリー」の単純なワイヤフレームで描かれたダンジョンの扉を開けるときの何とも言えない不安と興奮,戦闘に傷つきながらも経験値を稼いだパーティーが無事に宿に戻ったときの喜びといった感覚は,プレイする人間にとっては現実そのものであった。リアリティとは実態ではなく観念である。リアリティを感じるか感じないかは,媒体が決めるのではなく脳が決定するのである。

「サディスティック・キラー」ジョン・サンドフォード (新潮社)
同じ著者が別な名義で書いた「ハッカーの報酬」は水準以下の作品であったが,その本の解説で「スティーヴン・キングが「身の毛がよだつようなサスペンスフルな本」と評価している」と本書のことに触れていたので購入した。キングは少々誉め過ぎであるとは思うが,連続暴行殺人事件の犯人と警察との追っかけっこが,テレビというメディアを物語の進行に取り入れつつ伝統的手法にのっとってスリリングに描かれていて楽しめた。ロックミュージシャンのプリンスが産まれ育った都市であるミネアポリスを舞台にしているのも異色であるが,副業のコンピュータゲーム制作で高収入を得ている警官という主人公を設定したのもユニークである。また,もう一方の主人公ともいうべき連続暴行殺人犯の影が薄く感じられるほど,被害者を含めて物語に登場する女性陣が個性的で存在感があった。本シリーズはアメリカでは既に第4作まで出版されているとのことなので,翻訳された暁には第1作である本書に続いて第2作目以降の作品も読んでみたいと思う。

「写真のど真ん中」草森紳一 (河出書房新社)
古くは1966年の「カメラ毎日」に掲載したものから,新しいものは1986年の「ズーム」という雑誌に掲載したものまでの二十数篇の写真に関する文章をまとめた本である。僕自身,自転車で1時間かかる自衛隊の飛行場に朝早く出かけて,戦闘機をカメラに収めるという時期もあったが,基本的には写真というものは,ともすれば薄れがちな記憶を補強もしくは喚起するメディアだと思っている。それゆえに日常生活においてカメラを構えるということは殆どなく,カメラを手にするのはもっぱら非日常的時間と場所に限られるのである。現在はビデオムービーという動きのある映像メディアを小市民が使いこなす時代であるが,ムービーにはない写真の潔さが好きである。ところで,本書の中で著者も述べていたが,写真を読むというのは難しい行為である。同じ1枚の写真がキャプションによって正反対の意味をもってしまう。映像メディア全盛の時代ではあるが,まだまだ言葉や文字の呪縛から解き放れてはない。