グロ注意!
心臓の弱い人は見ないで!






ウサギ = 一般の中国人







メラミンいり毒粉ミルク事件、死傷者多数
日本国内でも中国産ベビーフードには注意







劇場の様な所で学校の行事が在り、責任者は鍵を掛けたままどこかに行っている間に火災が発生し、100名以上の生徒が死亡してしまう事件があった。










北京天安門周辺では、家屋の強制取壊しにより住まいを失った直訴者らが、「散歩活動」と自称する実質上の抗議活動を行っていた。、北京市在住の人権弁護士である倪玉蘭さんは、同じ遭遇の多くの人々と共に、北京市内の仮住まいから天安門広場に向かって「散歩活動」に参加した。倪さんは、家屋の強制取壊しに抗議したため逮捕され、身体障害者となり、住まいも失った。












共産党幹部の息子の運転する、高級外車が、農民数人を轢殺。逮捕されるも、処罰されず














役人の土地収用に反対した、折江省西部の村の村長が、交通事故にあったとされる事件

















石垣島で貴重な資料
大正9年、漁民救助の感謝状に明記

 

  • 【写真説明】保管されている「感謝状」の写し。中国が尖閣諸島を日本の領土と認知していたことを裏付けている
 日本が実効支配する東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権について、中国当局が日本固有の領土であることを公式に認めていたことを裏付ける史料 が、沖縄県石垣市役所に保管されていたことが二十二日までに明らかになった。領有権をめぐっては、中国、台湾などから対日批判が高まっているが、この史料 が中国や台湾の主張を崩す有力な資料として注目される。

 史料は中華民国九年(一九二〇年、大正九年)五月二十日、中華民国駐長崎領事が中国漁民救助に対する「感謝状」として、当時 の沖縄県石垣村(現、石垣市)村民に贈ったもの。 内容は「中華民国八年(大正八年)の冬、中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民、郭合順氏ら三十一 人が遭難し、日本の尖閣列島(現、尖閣諸島)にある和洋島(魚釣島のこと)に漂着した。石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し、皆元気に生還す ることができた。こうした看護は感謝に堪えず感謝状を贈る」というもの。

 領事氏名の馮冕(ひょう・めん)の下に「華駐長崎領事」の公印と年月日の上に「中華民国駐長崎領事印」とある。

 注目されるのは、この漁船が遭難した当時、中華民国政府の外交当局が、感謝状の中で尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している点。

 この点について沖縄の歴史を研究、編さんしている財団法人「沖縄協会」(本部・東京都千代田区)は、「このころまで に、中国が領有権の主張をした事実がないことはもちろん、むしろ積極的に尖閣諸島を日本領と認めていた何よりの証拠」と説明、第一級の史料価値があるとし ている。

 石垣市在住の元同市助役で郷土史家の牧野清氏(八七)によると、感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊川善 佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の通訳で女性の松葉ロブナストさんら計四人に贈られた。現存するのは、玉代勢氏あてのものだけで、同氏の長男、冨田孫秀氏 が今年一月、自宅に飾っていたものを石垣市に寄贈した。

 同市の話では、中国人らが魚釣島近海で遭難しているのを当時、同島でカツオ漁を営んでいた古賀氏が見つけて救出。八 重山島庁(当時)、石垣村役場が総出で救援活動を行った、という。遭難者の中には女性や子供も数人ずつおり、漁業を専業とする海上生活者だったとみられて いる。

 石垣市では、市史編集室で保管しているが、近く一般に公開する方向で検討している。

 
【初音ミク】Dear【Project DIVA 2nd】

頭の中で聞こえる君の声が

今も私の心を揺さ振る

記憶の中で君はいつでも

優しく微笑んでいるよ

あの日帰る途中君と二人

笑いながら手を繋いで

ずっとずっとこんな時が

続くと思っていたのに

君が最後に言った言葉

「今までありがとう」が

ずっと鳴り止まないんだ…

逢いたくて逢いたくて 声にならない声で

君の名前を呼び続ける

悲しくて苦しくて 一人の夜が怖いから

夜空見上げて

君を探してる・・・


逢いたくて逢いたくて 声にならない声で

君の名前を呼び続ける

大好きな君の事を ずっと忘れないよ

移り変わる 景色の中でも

最後まで言えなかった

この言葉を君に送るよ

君の事をずっと

愛しているから・・・