市制90年 川崎今昔記〈9〉市政(上) 全国の先行く「革新」
戦後初の社共共闘で初当選し、万歳する伊藤三郎氏(右から4人目)=1971年4月26日
「青い空、白い雲」
43年前の1971年4月、川崎市政は大きな転換期を迎えた。「社共共闘」に支えられ、川崎市労働組合連合会(市労連)委員長だった伊藤三郎=当時(51)=が、戦後初の公選市長で保守系の金刺不二太郎=同(75)=の7選を阻止して初当選。携帯ケース コピー以降、長期にわたる「革新市政」の幕が開けた。
「職場で伊藤さんの応援を頼むと、『勝てる訳ない』と言われ、よくけんかした。klogi携帯ケースそれだけに当選したときは飛び上がるほどうれしかった。川崎は公害のまち。ipad2 ケース勝因はあのスローガンだと思う」。若いころから伊藤市政を支え、のちに市労連委員長も務めた加藤壱将さん(74)は、当時の選挙戦を懐かしむ。ルイヴィトン携帯ケース
■公害からくらし
60~70年代、高度成長の負の側面として日本各地で公害が発生。川崎市内も鉄鋼、石油、化学工場が林立し、「南風が吹くと洗濯物はすすけ、亜硫酸ガスでテレビのアンテナがすぐに腐食した」(加藤さん)。iPhone 5sケース それにも増して、ぜんそくなどの公害病に多くの市民が苦しんでいた。
伊藤市長は就任あいさつで「『公害のまち川崎』の汚名を『くらしのまち川崎』に変える」と宣言、公害対策を最重要課題として取り組んだ。ケース コピー国の法律より厳しい内容の公害防止条例を制定し、大気汚染物質を発生源で抑える総量規制方式を全国で初めて導入。
大気汚染の発生源となる市内企業43社が患者に補償金を支払う公害健康被害補償制度を形にするなど、「川崎方式」の施策を次々と打ち出し、公害行政の先頭を走り続けた。iPhone 5 ケースコピー全国初の環境アセスメント条例も手掛け、青空を取り戻す施策は進んだ。
伊藤市政で市長室長や民生局長などを務めた深瀬幹男さん(84)は言う。iPhone4s「革新市政の意義は何か? 革新市政になって市民に行政が近寄った。市長が市民に直接聞く姿勢が強かった。iphone 4G ケース市民本位が進んだことだろう」
高齢者医療費の無料化、1万人に1カ所の保育所整備など、企業最優先から市民生活優先の施策が革新市政の真骨頂だった。
■長期政権ひずみ
市民の支持を得て5期当選を果たしたが、長期政権のひずみも。ガガミラノ 腕時計「ワンマンだったため、論功行賞が少し露骨だったかもしれない。人事が停滞した部分はある」と加藤さん。エルメス携帯ケース最も象徴的な出来事は88年、川崎駅前再開発に絡み市助役へ未公開株が譲渡されていた「リクルート事件」だ。その余波の残る89年、病もあり5期目の任期途中、計18年5カ月で伊藤市政は幕を下ろした。iphone 4G ケース
後任は教職員組合出身で市助役を務めた高橋清市長で、川崎方式や市民優会
伊豆新聞 7月11日(金)11時32分配信
東海館みがき隊に「勝手に感謝状」贈呈 伊東の松まち会
窓のガラスをていねいに磨く「みがき隊」の参加者=東海館
伊東市の市民団体「松川周辺地区まちづくり推進協議会」(愛称・松まち会、飯田進会長)はこのほど、伊東温泉観光・文化施設・東海館で活動する「東海館みがき隊」(福田次男隊長)に「勝手に感謝状」を贈呈した。飯田会長が東海館前で、福田隊長に感謝状を手渡した。エルメス携帯ケース
みがき隊は東海館が観光文化施設として開館した3カ月後の2001年10月から、館内の清掃を続けている。毎月第1月曜日に、廊下や広間、座敷のから拭き、窓ふきなどを行う。携帯ケース コピー155回目となる7日の活動には15人が参加した。これまでの参加者数は延べ1900人を超えるという。シャネル iPhone ケース
2代目の隊長を務める福田さんは「単に清掃するというのではなく、文化財に直接触れて磨き上げるという気持ちで活動に取り組んでいる。来館者に建物のことを説明できるのも、楽しみの一つ」と話した。グッチiPhone 5 携帯ケース飯田会長は「引き続き歴史・文化の香るまちづくりに貢献してほしい」と呼び掛けた。
【写説】窓のガラスをていねいに磨く「みがき隊」の参加者=東海館の考えは引き継がれた。iphone5 ケース かわいいリクルート事件を反省に全国初の市民オンブズマン制度を導入。政令市で初めて市職員採用試験から国籍条項を撤廃したことも全国から注目を浴びた。klogi携帯ケース
深瀬さんは「国籍条項の際、(助役として)国に説明や謝りに行ったのを思い出す。だが、しばらくすると国も認めるようになった」。シャネル 携帯ケース市民のために川崎市が先陣を切り、他自治体が後を追う。