仕事をしながら思うのは、「どこで手を抜けるか」である。

常に手を抜かずに仕事ができる人は心から尊敬する。
しかし、私にはそんな真似ができないので、そんな事を続けると心に支障をきたす。


この前やる気やモチベーションとは何だろうかという議論をしたとき、
常にモチベーションや、やる気で満ち溢れていると、緊張しっぱなしで死ぬという結論になった。
ごもっともである。
一時期、モチベが高い時期があり、仕事に燃えまくっていたこともあったが、常にその状態でいられるわけではなく、しばらくした後、反動のためにひたすら脳味噌が重く、「自分は一体何をやっているんだろう…」状態になったことがある。

物理的に仕事はできるのだが、一向に進まない。
「しなければいけない」と思いつつも体が動かない。
する事をリスト書きするとやる気がでるということで書き連ねると、今度はする事の多さにどこから手を付けていいのかわからなくなる。

そんな悪循環である。


抜け出そうと、睡眠時間を少し増やしたり、運動をしてみたりしたが、いったんこの境地に至ると、
なんかもうやる気の反対のものが汚泥のように積み重なってこびりついてとれないものである。

効率を求めなければ、物理的に仕事はできるので、この汚泥に目を背けながら仕事を回転させると
さらに積み重なる汚泥。

行くところまで行くととうとう心に爆弾を抱えてしまう。


手を抜かず、無理やりにでもモチベーションを出し続けた者の末路である。



この状態から抜け出す方法は多種多様だが、その中で私が実践して効果的だなと思った方法がある。


自分を認めてひたすらに落ち込んで泣きまくること。


できない自分が辛い辛いと自己嫌悪をしながら、中島みゆきなどを聞きながらひたすらわんわんと泣き続けるのである。

自分の情けなさにさらに涙して、ついでに中島みゆきの音楽の悲愴さに加えて、部屋も真っ暗にすればなおの事グッド。

この方法は自分のなかで最も効果が高かった。
下手に元気出そうとか、前向きになろうとか、気持ちを切り替えようとか、そんな自分をだますよりはよっぽど効いたのである。

欠点があるとすれば、一人でないとできない部分である。