リストバンドについて
リストバンドがC96から必須となり、いよいよコミケが有料制になりました。
これについては賛否がありますが、ではなぜ有料制になったのかということをまとめていきたいと思います。
有料になることは、何かしらの費用が掛かるためです。
徹夜の警備、会場の維持費、その他スタッフについての費用などでしょうか。または、転売ヤーといった、「招かれざる客」を排除するためでしょうか。
ところで、有料化になったとたんに、「お金を払っているから」という理由で文句を言う「客」が現れました。
コミケに客はいないというのは明白なことだと思いますが、たとえ参加者としてもお金を盾に文句を言うのはいかがでしょうか。
というのも、C95までは有料ではなかったために、そのような事態は起こりませんでした。
私が言いたいことは、自分たちが負担を少しでもするときになったとたんにそれを盾に文句を言うなということです。
サークル参加の人が負担すべきだなどと考えている方もいるでしょう。
しかし、サークルの8割は赤字と言われています。サークル参加費も、同人を作る費用も掛かっています。それに加えて負担を増やすのは不公平でしょう。
また、有料の原因が徹夜組または転売ヤーにかかるものなら、それは一般参加者の責任でしょう。多くの場合はサークル参加の側に負担を増やすのは望ましいことではありません。
さて、はなしは戻りますがお客問題が浮上するとそれを回避するように「運営」という言葉が出てきました。
対比する言葉なので自分たちはお客であり、それらに責任はない。
という理論を立てるとお客が背負うべき責任は果たして誰にあるのかというと、運営にあるのだということになるわけです。
しかしながら、そもそも、お客はいないわけですから、対比する言葉である運営もいないわけです。
あるのは、参加者と準備会のみです。
お客運営を出すのはじぶんたちのマナーの悪さを棚に上げるものではないかと思います。
この問題が出てきたのは熱中症患者がいたためです。
むろん、熱中症になる側に問題はありません。とても暑いわけですから、対策をしていたとしても結構難しいものでしょう。
熱中症患者が少数だったからといって、彼らのせいにしてはなりません。
準備会としては、十分な注意喚起もしましたから、熱中症患者は少数で済んだわけですし、当日の対応も十分だったと思います。
一つのジャンルを支持する人が増えると当然、様々な人が増えてきます。当然、体の弱い人もいるわけです。
表現の自由をうたっているコミケで参加する人を制限するのはおかしな話です。
多くの人が受け入れられるべきである一方でその人々が統一した精神を持つことが大切です。
統一した精神というのは、つまり「参加者」としての意識です。
いつ、だれがお客運営というのを言い出したのかは知りませんし、それは意外とどうでもいい話です。
言葉というのは独り歩きするわけですから、原点を責めたとしても意味はありません。
私たちは、参加者です。
では、責任はいったい誰がとるのか。
日本は、誰かが責任を取ればいいという考えが強いです。
責任を取って辞職するというと、事なきを得たという感覚に襲われます。
確かに、指示を出したり、誘導をする準備会が責任を取るべきかもしれません。
しかし、それだけでは十分ではありません。
なにせ、参加者だけで何十万人いるわけですし、当日の対応が大半を占めているわけです。
仮に、全責任が準備会にあるとしても、どのみち起きたことについての対応、起きることに対する対策をすることについては参加者の手を借りることでしょう。
そうなると、「無責任な参加者の手によって」コミケの一端が担われることになりますから、それは恐怖でしかありません。
我々はリストバンド以前に持ち合わせていた責任感、つまり無償な責任感をお金を経由することでそれを支払う準備会側に委託してしまっているのではないでしょうか。
私たちは、お金を支払うからという理由を排除して責任をもって、参加者としてコミケを作らなくてはなりません。
私が一番危惧していることは、無責任な参加者が増えることで、それを排除しようとリストバンドの値段が上がる。すると、お客様意識が向上する。悪循環になってしまいます。
みんなで作るコミケ。それは形だけでは終わらせたくはありません。