はじめに
こんばんわ。Twitterで、お世話になっております。彼氏です。今回は、恋人になったはいいけど、なんかほかのカップルと違うという現象について考えていこうと思います。
結論から言うと、人それぞれでいいじゃん。なんですが、ではどうしてなんか違うなぁという気持ちを抱くのでしょうか。自分なりに考えてみました。
恋人という抽象的人物像について
好きな人に告白して、されて無事にあなたは付き合いを始めることになりました。
しかし、春はお花見に行かず、夏は花火大会に行かず、秋は紅葉に行かず、冬は初詣や、旅行に行かず。なんとも「恋人らしい」ことをしませんでした。本当に付き合っていていいのだろうかと不安を抱くあなた。
しかし、よく考えてみましょう。その恋人らしさというのは現実的に自分たちが行えることとどれほど近い存在なのかということを。
お花見に行けない→学校や就職で忙しかった
花火大会に行けない→近場では行われていない大会である/夏は部活などで忙しかった
秋の紅葉→地域的に問題がある/出張や課題に追われた
冬→受験/その他年末にやることがあった
あなたはいつの間にか、「多くの人が経験した」恋人同士の付き合い方というのを重視するあまり、現実と乖離した理想にしがみついてしまっているのではないでしょうか。
付き合いを始めると、恋人関係というあなたと恋人という具体性のある関係から、抽象的な関係性になってしまいます。
それらしいことをしなければならないというのは、ある意味ではテンプレートに沿った行動で、初期のころはよいかもしれません。
しかし、それを行うために犠牲にする時間や労力に価値はないでしょう。
恋人のためにやることだからと頑張るのは正しいですが、お互いの状況に見合っているのかというのをよく考えましょう。
恋愛は仕事ではないので、やらなければならないことはありません。
型通りの行動をするのはお互いの関係を悪化させることだけではなく、無意味な消耗につながり非常に危険です。
水族館に行けない彼女
私の彼女は動物全般が苦手で、動物園、水族館には行けません。
一度、無理にでも思っていったものの、触れ合い」はもちろん、水槽からの鑑賞も無理なことがありました。
このようなことに時間を割くのであれば、カフェでゆっくりとお茶をするほうが有意義な時間の使い方といえます。
僕らの場合はあらかじめチケットを購入していたので、早めに行って、早めに帰るということで滞在時間は2時間程度。
イルカショーは平気でしたので、それを見た後に次のスポットに向かいました。
個別的なカップルへ
模範的なカップルとか、典型的なカップルなどということがよくあります。それは、おおよその人のイメージに即しているというのにすぎません。
これは、政治や科学者、学校の先生、医者といった様々な分野に及ぶものです。
これに意味はありません。外からの観察者は結局のところ、極端な結果主義であって、出力に応じた反応を示す、いわば機械のようなものです。
カップルというのは、当たり前ながら二人の人物で構築されているだけですので、個々の事情に応じた対応は容易です。
学校や会社のように大勢の人間の個別的な状況に対応するのはそれなりの仕組みや労力が必要ですが、カップルは二人であるがゆえにその点に関してはとても容易です。
水族館に行けない?化粧ができない?かわいい服が着れない?いつも割り勘?それでもいいじゃないですか、と僕は言いたいです。
結局のところ……
最終的に、居心地の良いところが、典型的なカップル像であっても、いきなりそれを目指すのではなく、結果的にそうなった、ということでもいいのではないかと思います。
デート一つ、付き合い方ひとつはとても重要なもので、恋人を持つほかの人から変だといわれても、その人にあったやり方や行動をすることが可能です。
よい恋愛、それはお互いを理解しあったときに生まれるものです。
Good lover was made by good mind.