不祥事が絶えませんね。

政治も、経済も、教育の現場でも。

ダンボール入りの肉まんは、不祥事の不祥事=捏造だったようだが、ミートホープは本当に内臓だの混ぜていたようだ。政治の世界でも、事務所費の不正請求の輪が拡がっている。宮崎県でも、「やっぱりあった裏金」。

しかし、多いな疑問として、民間で不祥事をすると、その内容にもよるが、刑事事件になるが、官だとなぜか刑事にはならない。どうしてなのか?事務所費の不正請求はれっきとした虚偽申告で、民間だったら確実に営業停止か、出入り差し止め処分。裏金は、横領で、逮捕か書類送検でしょう。


ただ、何でもかんでも法律で杓子定規に処分するばかりが良いとも思わない。

法律違反はいけないが、日本流の運用も重要。

昔、国鉄のスト方式の一つに『順法闘争』と言うのがあって、子供心ながらに不思議に思っていた。「法律を守ることがどうしてストになるのか?」と。順法闘争を知らない若い人もいるだろうから、少し解説もすると、法律を確実に守ると、世の中、実は予定通りには動けない。例えば、街中を運転していても、交差点に差し掛かると時速10km以下で徐行して、かつ運転中は四方八方に注意を満遍なくして、何かあると、例えば歩道を老人が歩いていると念のため徐行する。信号が変わりそうだとそれに備えて、黄色信号になったら確実に停止線の前で停まる。発車するときには周囲の安全確認をした上で、発車するのであって、前の車が動いたら即座に発車してはいけない。。。。そんなことをしていたら、東京の渋滞は確実に手が付けられなくなる。


「運用」が重要で、そのためには基盤をなす常識というか、道徳というか、国民がもっていなければならない基本認識があることが重要で、それが無くなるとすべて法律でがんじがらめにしなければいけなくなる。

先週、村上ファンドの判決があった。実刑判決で司法も厳しい判断を下した。

報道では司法が「利的行為に対する断罪」というような資本主義を否定するようなものもあったが、判決文を読むとそこまでの無茶はなかったようだ。「聞いちゃった」「言わせた」の議論はあるが、要は法律の盲点を突く村上氏のやり方を社会的に改革者として受容するのか、社会的規範の破壊者として追放するかであり、社会が後者の判断をして、司法が法に照らして有罪判決をした・・・というところか。

村上さんもアクティビストとして日本社会の固陋を打破するまでは良かったんだろうが、ファンドが大きくなり社会的な注目も浴びるようになって、より大きなことをしなければならなくなって、道徳的に許される範囲を逸脱してしまったんだろう。ただその線引きは本人には難しかろう。でも、その線引きを持っていなければ、リーダーとしては失格だ。

昔の蛮勇型のリーダーは今日では勤まらない。リーダーはたいへんだ!



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