昨日は、叔母の施設にコーヒーと下着を持っていった。
ちょうど施設長さんが通りかかったので最近教会の人は来ているか聞いてみると、来てはいないけれど様子を尋ねる電話は時々ある、との事。
教会の人たちには、私が叔母と関わり始めて困惑している頃から、施設に入所後もずっと良くして貰っていた(2013~コロナ前頃)。
叔母は認知症も随分進んでいるので、その人達のことももう分からなくなっているが、いつまでも気にかけてくれて有り難い。
家に帰って、今日叔母のところに行ったと夫に話すと「お葬式は誰が喪主?オレがやってもいいよ」と。叔母はまだ存命なので葬儀の話しは不謹慎とかそういう事は置いといて、夫は「キリスト教でしょ?御香典はお花料って書くんだよね」程度の知識をひけらかしていたが、叔母はエ◯バの証人なので「葬儀」という概念も、讃美歌も、遺影も位牌もお花料も無い事は面倒くさいので説明しなかった。
叔母本人には、まだそこそこ頭がしっかりしている頃に確認してあって、亡くなったあとの魂はこの世には無いから骨だけ実家のお墓に入れてくれればいいと言われている。
私も当初は「あ、それでいいんだ~」と思っていたのだが、教会の人に「本当に普及に尽力された方で」と言われ、施設長さんに「叔母さんは位(くらい)が高いんですって」と言われ、娘が同級生のエ◯バ信者の子に「みんな知ってるよ、有名人だもの知らない人はいない」と言われたと聞き、そう言われている叔母を火葬場→納骨だけで良いのか、と思い始めてしまった。
1950~70年代のまだ信者が少なかった頃に功績を残したのだというが、宗教を広めた事の是非は別問題として、叔母がそれほど自分の人生を費やしたのであれば教会の人との温度差は無いようにしなければ...と思った。
エ◯バの場合は「王国会館」なるところでお別れ会のような事をするらしいのだが、そこに飾るお花くらいは準備しようと思うし、御香典は頂かないが気持ち程度のお礼も用意すべきかと思っている。
これを取り仕切るのを「喪主」と言うのかどうか知らないが、花がどこで売っているのか知らないような夫にはできないんじゃないかと思ったり...。
実際に亡くなる頃にはもう過去の人になっているかも知れないし、それはその時に教会の人に聞いてみないと分からないけれど、叔母も教会の人も我が家の菩提寺も納得するやり方を考えておかなければならない。