安藤節雄 遺作展(アートカゲヤマ画廊)
僕の住んでいる藤枝市内に、アートカゲヤマという店がある。画材や額縁の店で、画廊も併設している。画廊は個展やグループ展などに利用されていて、一週間ごとの入れ替えである。額縁はオーダーメイドで、店に制作スペースもある。 先日、近くを通った折に立ち寄ったら、ギャラリーで「安藤節雄 遺作展」をやっていた。はじめて見る作家だったが、これが素晴らしかった。技量そのものも優れているけれど、何よりも作品に血が通っている。この「血が通っている」感じは、すぐれた作品のいわば必要条件ともいうべきもので、それがないものは、どれほど技術的に優れていても、芸術作品としてはダメである。 面白かったのは氏の作品が、「血が通っている」と同時に「俗気がない」ものだったということである。最晩年の作品ということもあろうが、画面から子供のように純粋な何かが伝わってきて、とても心地よかった。 家へ帰ってウェブで色々調べてみた。島田市出身の作家で、生まれたのは1928年、亡くなったのは2023年だから、95歳の高齢まで存命だったことになる。地元静岡での活動が中心だが、紀伊國屋画廊などでも個展を開いていた。十数年前には、島田市博物館で「安藤節雄 抽象の世界」という企画展も開かれていた。 調べている内に、孫にあたる方のインスタが見つかった。氏の生前のエピソードがふんだんに紹介されており、面白かったとともに、絵の魅力の秘密を垣間見た気がした。 祖父はいわゆる「普通のおじいちゃん」ではなかった。普段は生業としていた惣菜屋の大きな鉄鍋の前で、天ぷらやコロッケを揚げていたけれど、突然私の目の前でバラの花びらをちぎってムシャムシャと食べては、自作の薔薇の歌を歌ったり、即興で作った詩を延々と聞かされたこともあった。若い頃の逸話には事欠かない。曲がったことが大嫌いで、教員だった頃には持ち前の正義感から、不正を働いた校長先生を持ち上げてグルタン回したとか、この池には飛び込む奴はいないだろうと話す人達の目の前で、さっと飛び込んでしまったとか、不良たちに呼び出されたが、1人で立ち向かい鼻をへし折られたとか。そのくせとても弱い部分も持ち合わせていた。その繊細さには人間らしい血が通っていたので、か弱い祖父の昔話を祖母や母から聞くたびにかわいらしいなあと思ったものだった。 アンコール on Instagram: "9月8日より藤枝市にありますアートカゲヤマさまにて、祖父、安藤節雄の遺作展が開催されます。 祖父の仲間たちが発起人となり開催される個展。 祖父はいわゆる「普通のおじいちゃん」ではなかった。 普段は生業としていた惣菜屋の大きな鉄鍋の前で、天ぷらやコロッケを揚げていたけれど、突然私の目の前でバラの花びらをちぎってムシャムシャと食べては、自作の薔薇の歌を歌ったり、即興で作った詩を延々と聞かされたこともあった。若い頃の逸話には事欠かない。曲がったことが大嫌い…231 likes, 4 comments - encore_ayu on August 27, 2025: "9月8日より藤枝市にありますアートカゲヤマさまにて、祖父、安藤節雄の遺作展が開催されます。 祖父の仲間たちが発起人となり開催される個展。 祖父はいわゆる「普通のおじいちゃん」ではなかった。 普段は生業としていた惣菜屋の大きな鉄鍋の前で、天ぷらや…www.instagram.com 翌日、再びアートカゲヤマへ出向いていった。もう一度じっくりと作品を見たかったからである。二十数点の作品をあらためて見たが、素晴らしいという印象は前日と変わらない。一見して良いと思った作品も、日を改めて見てみると、案外つまらなかったりするものだが、そんなことは全然なかった。 見ると部屋の入口に、島田市博物館における企画展のカタログが置いてあった。(上に引いたインスタの記事も、印刷されて掲げられていた。)パラパラとめくっていると、氏自身の手になる一文が載っている。店の人に頼んでそのページの写真を撮らせてもらった。 石ころが坂道の上を転がっていくような人生であった。其処の終着点に私は立っていた。83歳。老人である。自己の人生を肯定も否定も出来ない。優柔不断な男である。時折アクションペインティングで画らしいものを描いて、精神主義者だという。偽善者みたいな奴で、己は自分を好きでない。嫌な奴だと思っているが、時たま遠い神の住むポエムの世界に憧れ、死を美化することに努力するのだが、それもほんの僅かな時間で、すぐ現実の世界に戻って、泣いたり笑ったり悲しんだりする怠け者だから、画も余り描かない、夢見るロマンチストである。私ほど画を描かない男は居ないだろう。[......] 抽象的な絵画は、アクションから成立するものと、理性的な構成主義から成立するものから、哲学的な思考から成立するものと色々あるだろうが、私の場合、アクション的な痕跡の場を詩情のある世界まで高めようと願いを込めるのであるが、込めても成立しない場合もある。染みとか傷も願いを込めればポエムが現実を持ってくれるだろうと思う。[......] 作品はアートとして人の為に描いたモノではない。自分自身、毎日生きなければならない自分の為に描いたモノで、一年に1点(130号)描くのが習慣のようになった。一日15分描けば私は満足でホッとした。それで解脱したような気がした。この頃では、絵を描かなくても、一文もなくとも、好日である。武者小路の「日々是好日」の書が通俗な言葉かも知れないが、静寂な森の木漏れ日のように私の脳裏を掠めるのである。(『安藤節雄抽象の世界』より) この一文を読んで、全てが一本の糸でつながったような気がした。絵を見て受けた印象と、お孫さんの記したエピソードと、安藤節雄自身の文章とが、僕の中でしっかり焦点を合わせ、確固たる像を結んだ。残念ながら画家ご自身は、すでに二年前に他界している。できれば生前に、一度お目にかかりたかった。↓安藤節雄 遺作展※現在開催中 安藤節雄 遺作展1階会場 : アート カゲヤマ・画材・額縁・画廊blog.livedoor.jp※現在開催中 2F 安藤節雄 遺作展2階会場 : アート カゲヤマ・画材・額縁・画廊blog.livedoor.jp