おこったことはただの事象。

 

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事象とは、、、、いろいろの物事の現象。

 

 

 

たとえば、

なにか予定していたことに、やもおえない理由でいけなくなる

 

逆にあきらめていたのに、なぜか行けるようになる

 

そこに、

 

今回いけなくなったのは(行けるようになったのは)、タイミングじゃなかったんですね

とか

今回○○なったのは、きっと必然だからですね

とか

今回○○なったのは、宇宙のタイミングですね

 

とか

 

その、物事に、なにかの理由をつけたがる。

 

でもさ、

その物事がおこったのは、もともとの理由がある。

 

たとえば、

家族が風邪をひいてなにかにいけなくなった

たとえば

電車が延着して遅刻した

 

という、

物事の理由がある、それで、このことがおこってる=事象

なわけで

 

それ以外に、なんか理由をつけると、

現実がゆがむとわたしはおもうの。

 

実は物事がおこることに、いちいち理由はない、

物事はおこるときに起こる。

そして、

その事象の理由がわかるのは、

全部あとからなの。

 

あとからわかるのに、

最初に、意味のない理由をつけてしまうと

そのように決めてしまうので

実は、

そのことにはもっと別の理由があったかもしれないのに、

 

超もったいない!!の。

 

起こったことに、むりやり理由をつけると

未来の自分に起こることを、ゆがめてる。

 

ちょっとわかりにくいけどさ、

 

起こったことに、なぞの理由をつけているひとって

おおいとおもうねんけど

それ、未来の可能性をけしてるよって

思う。

 

おこったことは、ただ事象として、うけとめ

そこになにか感情がわいたら、その感情をうけとめ

それだけでいい

 

そこに、理由などない。

 

そして、その理由はあとでわかる。

 

だって、起こることは実はほんとうに必然なので、

あとでわかる。

 

だからなにが起こっても大丈夫だし、

 

事象は、よいわるいもない。

 

全部、逆算のように、全部つじつまがあってくるよ。

 

それをかんじられると、生きてるっておもしろいなっておもえる。

 

ちょっと哲学みたいだけどさ、

 

 

起こった事象に、むりから意味をつけなくてもいい。

 

 

逆算で今がはまってくると、結構たのしい!

 

 

 

バタフライエフェクトセミナーではそんな話もします。