◎ボクは4年間自分の講義を通じ韓国をはじめ台湾や中国の留学生たちと知り合った。中でも韓国の留学生の頑張りぶりや優秀さには一目置いていた。正直彼らを通してボクの韓国観は大きく変っていった。あるときから韓国語の教本や会話CDがカバンの中に入ったのもそんな動機からだ。
◎あるとき韓国の留学生が、日本では老人や障害者に席を譲らない光景を見て不思議ですと言ったのを聞いてなーるほど儒教の国だなぁ、と感心したものだ。
◎ボクが利用するバスは東京女子医大を路線とするものが多い。時間によっては病人や老人たちでいっぱいになることがある。
◎その次に多いのが、女子医大に隣接する韓国学校の生徒たちだ。下校時刻になるとお迎えの父兄が付き添いに加わり混雑する。
◎今日利用したのは17時ちょっと過ぎの高田馬場行き。時間柄下校生徒と父兄そして通院帰りのご老人たちや松葉杖や歩行補助器具装着の人もいた。子供を好きな席に自由に座らせる父兄。席を確保できず立つお婆さんやお爺さん、そして障害者。終着まで約20分。見かねたお婆さんが降車するBSの少し前に「もう降りるから」と障害者に自分の席を勧めた光景以外なにも変らなかった。
◎ここで考えたこと感じたことがいくつもあった。儒教の国民も日本にいれば郷に従い日本の日常に馴染んでしまった?儒教を誇る韓国学校では、どんな教育をしているのだろう?隣が病院だというのに。バスの運転手さんは気がつかないのだろうか?車内テープにお任せでいいのだろうか?乗客の特徴が分ったら、マイクを持ってお譲りくださいと言う意識はどこに行ったのだろう。
◎言うまでもない下車する際、運転手さんにこれからはマイクで促して欲しいとお願いをした。少なくともそこまでがお仕事。テープ任せで済ませてはいけない。でも仕事だから理解しましたでは、本質はなにも変らない。そこまで突っ込んで確認したくなる衝動はまぁどうにか抑えることができた。5,6年もしたら間違いなくウルサイ町のオヤジになりそうだ。